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ショートカット

林あまり「ショートカット」

僕はショートカットという言葉を聞くと、何か禁欲的なものや潔さを感じてしまう。この場合のショートカットとは髪型のことである。同義語のショートヘアーという言葉からは僕はとりたてて感じることはない。女性が「髪をショートカットにしました」と言うのを聞くと、「失恋でもしたの?」とすぐに僕が連想するのは少々、短絡的かもしれないが、もし、その代わりに、女性が「髪をショートヘアーにしました」というのを聞いても、僕には失恋という連想はあまり沸いてこないのである。ああ、お洒落でショートヘアーにしたんだなと思うだけである。ショートヘアーが耳を全て隠すぐらいの少し長めの髪型を想像させるのに対し、ショートカットは耳を出した短い髪型を想像させる。女性の髪は本来、男性の髪よりも長いものであるという社会的な通念がある。それをあえて、女性が、男性と同じくらいに短く髪を切ってしまうというのは何かわけがあるのではないかと思い、そのわけというのの一つに失恋というものがあるのだろう。今はショートヘアーの若い女性は多いし、めずらしくない。男性が女性よりも短い髪をしているという通念も崩れつつある。だが、ショートカットという言葉が当てはまる髪型をしている女性は少ないと思う。ショートヘアーでは男性よりは長めの髪であることが普通だが、男性と同じくらいに短いいわゆるショートカットというのは少ない。

漱石が「女性は装飾の徒」であるということを書いている。女性は何かにつけて飾ろうとする傾向があるというのだ。まず女性は化粧をするし、色々なアクセサリーを身につける。また女性は、自分の部屋では、実用性ということ以上に、カーテンに凝ったり、調度品や小物に好んでかわいいものを選んだりする。また女性だけがはくスカートなども動きやすさの面から言えばズボンに劣るし、多分に装飾的な意味合いがある。女性は生まれたときから自分自身や周囲を美しくしようとするように育てられる。女の子用の服は、男の子用の服に比べて実用性の観点から言えば無駄の多いものだし、かわいらしさが重視されている。同じ理由からか、女の子は、男の子よりも長い髪で育てられるのが普通である。たまに髪の短い女の子がいると、その子の髪は、女の子らしい髪型とは言われず、男の子みたいな髪ねと言われる。これは一般に女の子は髪が長く、男の子は髪が短いという通念からきているからだろう。実用性の面から言えば、長い髪というのは不便である。防寒や頭の保護という観点から言ったら男性のような短い髪で充分であろう。女の子の長い髪は、かわいらしさのためにあるのであり、自分を美しく見せる装飾品だといえる。ここから「髪は女の命」と言われることにつながっていく。女性が、装飾し美しくかわいらしくなろうとするものであるとするならば、装飾品である長い髪を失うということは、自分の装飾を捨てることであり、それはすなわち装飾の徒としての女を捨てることになるというわけだ。

ショートカット

女性が失恋し、長い髪を短く切ってショートカットにするというのは、それまで自分を魅力的に見せていた飾りをあえて捨てるということであろう。場合によってはそれは「もう自分は恋愛はしない」という宣言であることもある。恋愛というのは性的な歓楽と強く結びついているものであるため、恋愛を捨てるというのは歓楽から遠ざかるという印象を僕には生じさせるのだ。そこから禁欲ということにつながっていく。僕の中で、ショートカットという言葉は、あえて長い髪という魅力的な飾りを捨てるという意味で、禁欲的なイメージにつながっている。これは、実は失恋に限ったことではない。ショートカットという髪型は、普通一般の女性では少数派かもしれないが、バスケットボール、バレーボール、ソフトボールといった女子の部活やスポーツの世界、女性自衛官といった女性たちの間では一般的な髪型である。動きやすく、汗だくになっても大丈夫ということで、短髪が好まれる。その女性の短髪の代表的なものがショートカットということになる。彼女たちは体を激しく動かす競技での勝利や職務の達成のために装飾的な長い髪は邪魔だというので捨てているのだ。あるいは気合を入れるためといった精神的な理由もあるだろう。これは高校球児の丸坊主にも少し似ているかもしれない。自らの装飾をばっさり捨てるという意味で、この場合のショートカットも禁欲的な感じや潔さと結びついている。

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