光を善、闇を悪とみなす宗教はいたるところにある。ゾロアスター教もそうである。詳しいことはわからないが、光明神アフラ=マズダと暗黒神アーリマンの対決によってこの世はなっているそうである。カトリックの神父から面白い話を聞いた。全ては光であり、光の届かない所が闇であるというのである。悪を神がおおっているのである。最近の宇宙論でも、最初に光があったということになっている。宇宙とはひとつの受精卵のような存在であり、拡大にするにつれて、光の届く所と届かない所にわかれていったのではなかろうか。
人間は光を歓迎し、闇を恐れる。闇の中では何も見えず、より視力のいい、もしくは視力に頼らない動物の餌食にされてしまうからであろう。しかし、闇を好む人たちも若干名いる。闇に隠れ、闇の中で敵の動向をうかがうスパイたちである。スパイと言ってもいろいろな形があるだろうけれども、上級になるにつれて闇を好むようになるはずである。自分がこれまでやってきたこと、これからやらなければならないこと、いくら歴史が業績を評価すると言われた所で、自分自身の良心の呵責にどれだけ耐えられるのか。
嘘をつかなければならないスパイは弱いスパイである。嘘をつかないスパイは強いスパイである。スパイの中で最も優秀なスパイは光と闇の両方を歩くことができる。命令に従ってのみ動くスパイである。話が脱線してしまったが、光と闇は、正反対の性能を持っていながら、どのような関係性があるのかはわかっていない。宮崎駿は生命は「闇の中にまたたく光だ」といった。すべてが光で光の届かない所が闇であるという定義と相反する定義である。わたしはどちらでもいいと思う。ただあるのは、光と闇である。光は闇を吸収し、闇は光を吸収する。そこに善悪を持ち込むのは人間のイマジネーションである。
大きすぎる光は人間を破滅させるが、大きすぎる闇は人間に無害である。そう考えたときに、光を善、闇を悪と決めつけるのはどうかと疑問が出る。原子爆弾のことを「ピカドン」と言うそうである。まさしくこれは大きすぎる光である。夜の世界で働く若い青年たちは決して汚れてはいないと私は信じる。むしろ昼の世界で、意地悪な上司に間違った指導を受けている青年の方が汚れている。光と闇というテーマから発することは多い。
光は物質の一エネルギー状態でもある。宇宙の構造は無の世界(=ほとんど全てが物質:光につつまれている)のなかに気泡のようにいくつかエネルギー(=闇:ほとんどが熱エネルギー)で、そのなかにまた気泡のようにいくつか宇宙(光)があるという状態である。原初の宇宙は一つの物質で飛び回る電子により、光り輝いていた。それが一気にビックバンにより拡散し、光るエネルギー状態の物質がある所とない所に分かれていく。これにより、光と闇に分かれる。光るエネルギー状態とは、光エネルギー状態(エネルギーには、ほかに化学エネルギー状態、重力エネルギー状態などがある)のことであり、光エネルギー状態とは電子が激しく飛び回っている状態である。闇とは光エネルギーを発しない物質(電子があまり飛び回らない)しかない空間である。光エネルギーが宇宙内で熱エネルギーとして拡散しており、一部分の恒星で核融合で光となり、惑星内でも一部、化学反応で光が生じたりしている。宇宙は、その内部で熱しかないエネルギーの海を再現している。