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「同じもの」と言語化

同じものとは何だろうか。そもそもこの世に全く同じものは存在するのか?一卵性双生児は似ているけれど、別人だ。文房具屋さんに仲良くならんでいる同じサイズのMONO消しゴムたちはどれも同じように見えるけれど、厳密に見たら傷があったりなかったりして、ひとつひとつは実は異なっている。この世に同じものなど一つもないのだ。同じというのは、小さな差異を無視した結果として出てくるものだ。物質は原子、分子で構成されている。僕たちが同じ物だと考えているものは、実は異なる原子、分子で出来ているわけだ。同じものというのは、人間の頭の中にしか存在しないのだ。人間が勝手に二つやそれ以上の数のものを同じと思い込んでいるだけだ。

消しゴム、鉛筆、筆箱と、僕たちは対象に名前を付けてグループ分けしている。このグループ分けの結果、人間にとっての「同じもの」ができる。「これはどちらも消しゴムで同じものです」と言えるのは、消しゴムという名前をもとにしたグループ分けをしているからだ。つまり、言葉によって同じものが出来るのだ。一つの言葉(記号)に一つの意味しかない数字では、この特性が最も大きく反映されている。1+1=2は誰にとっても1+1=2であり、同じである。コンピュータは全ての情報を”1”か”0”で処理する。画像も音声も映像も全て”1”と”0”で表現されている。”1”と”0”の並びが全く同じであれば、ディスプレイやスピーカーに出力される画像や音声は、人間の視覚や聴覚ではほとんど区別できないほどいつも同じ画像や音声がである。もちろんディスプレイやスピーカーが異なっていれば出力のされた結果も違う。それは”1”と”0”で表現されている言葉に従って、ディスプレイやスピーカーが出力する光や音を決めているからだ。ディスプレイやスピーカーの構造の違いによって、同じ”1”と”0”の情報(デジタル情報)でも、その情報に対応する光や音が違ってくるのだ。同じデジタル情報(ソフト)を読み込んだ場合でも、最終的な結果は、ディスプレイやスピーカーのハード(物質)によって規定されている。言葉は物質や光や音に変換される時にはまた互いに異なったものにならざるを得ない。なぜなら物質や光や音を構成しているものは厳密に言えばどれも互いに異なっているからだ。

同じものというのは人間の思考の中に登場する観念的な(想像の中の)産物でしかない。人間は言葉によって「同じもの」を頭の中で作り出している。言語化とは、人間が感じている映像や音声や気持ちや事実を言葉で表現することだ。そして、言語化された情報をもう一度、映像や音声や気持ちや事実として現実のものとして復元することもできる。

例を挙げてみよう。音楽のレコーディングだ。歌手やバンドが出す音声を、マイクで集め、集められた音声を機械で”1”と”0”の情報(言葉)に置き換える。”1”と”0”に置き換えられたデジタル情報(言葉)を、音楽用CDに書き込む。そのCDをCDプレイヤーに入れて再生すると、レコーディングした時の音声によく似た音声がスピーカーから出てくる。レコーディングの際に、集められた音声をできるだけ細かく分割して沢山の”1”と”0”に置き換えれば置き換えるほど、CDプレイヤーで再生したときの音声はレコーディング時の実際の音声と酷似していく。(音質が良くなる。)

もうひとつ例を挙げよう。作家は自分の脳の中にある、気持ちや経験や表現したいものを文章として言語化する。そして言語化された文章を読者が読むと、読者は自分の脳の思考の中で、その作家の気持ちや経験や表現したいものを再現する。もちろん読者が誰であるかによって、その読者の中で再現される作家の気持ちや経験や表現したいものは異なってくる。それは人それぞれ別々の脳というハード(物質)を持っているからだ。これは、同じ音楽CDなのにCDプレイヤーやスピーカーの違いによって出力(再現)される音声が違ってくるのとよく似ている。

最後にもう一つ例を挙げると、生物の設計図と言われる遺伝子も人間は、"A"と"T"と"C"と"G"という4種類の塩基の配列からなってている定義している。塩基配列が全く同じ遺伝子であれば、その結果として出来る生命も似たものができるのだ。冒頭にあげた一卵性双生児は全く同じ塩基配列の遺伝子を持っているので、とてもよく似た人になるのだ。しかし、遺伝子の塩基配列が同じでも、体を構成する物質が違っているために両者は異なる人間になる。もしも人工知能が発明され、”1”と”0”だけで知能が表現されるようになっても、その知能(プログラム)を格納する装置(ハード)の違いによって全く同じ人工知能というのはできないだろう。しかし、一卵性双生児とは比較にならないほど極めて酷似した知能が存在できるようになるだろう。

言葉によって人間は「同じもの」を作り出し、本来ならば一度きり、また一個人の中でしか経験できない映像、音声、気持ち、思考などを、何度もまた複数の人たちに疑似体験させることができるようになっているのである。「神」も”1+1=2”という「真理」も言葉なしには存在し得まい。僕たち人間は、言葉を通して、「神」や「真理」を複数の人間で共有している。言葉を持たない動物が「神」や「真理」を持つことは実質的に不可能だろう。

#同じ