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記号と同じということについて

同じという言葉があるが、現実世界には同じものはひとつもない。必ず異なる分子、原子で構成された別物である。規格が同じコップが5つあったら、たとえばAというタイプのコップが5個あるというように言う。これとこれは同じ物ということで、明言する。例えば消しゴムが二つあるといったことはウソなのである。一方には傷があり、もうひとつには0.1グラム重さが軽いということがあるかもしれない。実は「同じ」という概念は言葉によってできたのである。言葉とは記号である。数学で1=1は正しいが、しかし、自然界に1というものは存在しない。1を探してみてほしい。2つ以上の物を空気を介して分離しているような物を同じとみなして、4つとか5つ同じ物があると言っているわけである。ハト=ハトも正しい。実はイコールで結べるのは記号と記号(言葉や数字)だけなのである。一般名刺と固有名詞という言葉がある。広島の平和の像は固有名詞だが、仏像は一般名詞である。言葉とは分類に他ならない。犬というのは猫とは異なるが、犬にはヨークシャテリアもいればコリーもいる。犬と猫に分け、さらに犬をヨークシャテリアとコリーに分けている。区分というロープを張って相互に行き来できないようにするのが言葉である。それから「犬」という言葉から想像する犬は人間各個人でも違っている。ヘーゲルが真実とは言葉であると述べているが、整合性(確からしさ)を実際に示すことができるのは、記号(文字・数字)の世界だけなのである。同じとは分類によって生まれた概念であり、もとから同じ物があったわけではないのである。自然科学が力を持っているのは数字を記号として、現実世界を区分・分類し、運動の法則や化学的配合を数字と記号によって表し、本来、似ているものに(例えば人間)対して法則を適用させることによっって、例えば医者が同じ病気の患者に同じ薬を処方して効果を上げている。記号とは分類なのである。また別の例を出すならば、ボーダーを引くことから日本人と韓国人が分かれるのだ。形而上学、特に哲学とは記号(言語・数字)によって表される世界の把握および記述なのである。

#同じ