ドワーフについて記しておこう。ドワーフは、人間とよく似た性格をしているが、ただし、ドワーフは、ホビットと同じくらいの背丈で、ずんぐりしている。寿命もホビットと同じく二百年余りである。ひげは濃い。ドワーフは、古くから、鉱山地帯に住むのを常としている、石炭と鉄鉱石を主に採掘している。小柄な体は、狭い坑道に適している。ドワーフの宗教は、ユンマートである。ユンマートとは、「神の教え」と言う意味である。ユンマートは、イルヒーを唯一神とする宗教である。ユンマートは、男女の平等を説く。ドワーフは、女も鉱山で働くし、男でも子育てをする。ユンマートの聖典は、『ケルマー』であり、預言者、イブラスが、天啓を受けて記した書である。そして、第二聖典を『マナトース』と言い、イブラスの言行録である。これは、イブラスの近親者が記した書である。日に二回の礼拝(シャーイ)が、ユンマート信者(ユンシル)に課せられている。また、喜捨(コイマ)(寄付)も定めらており、収入の十分の一を喜捨することになっている。ユンマートは祭政一致の宗教であり、月に一回の喜捨が税金を兼ねる。ドワーフは、鉱石を、人間に売って、生業(なりわい)にしている。ユンマートの礼拝所をマンスルと言う。礼拝は、日の出と日の入りに行われる。『ケルマー』の詠唱が、マンスルに響く時が、ユンシルの大事な時なのである。ユンマートは純粋に、ドワーフのための宗教である。ユンマートの法律を、ハダージャと言う。ハダージャの実効力は、ユンシルの属するマンスルごとの共同体であるコンナスに依存する。ユンマートの首長が、ドワーフの首長である。ユンマートの首長を、導師ランスと呼ぶ。ランスは宗教そして政治の頭である。ユンマートには神秘主義学派(ヘクナー)というのがあり、ユンマートの真理への最短の道は、ヘクナーとも言われている。ヘクナーの徒のことを、ヘクセンと言う。ユンマートは完成度の高い宗教だが、理論面では、オークのベーメン教には優(まさ)りはしないだろう。
ドワーフは西方の山岳地帯に住んでいる。トリスタンの一行は、幌馬車に乗って、ドマン街道を西進した。途中、再び、ドンバを通り、約一週間で、ドワーフが住んでいる、ウンヘイ山岳地帯に到着した、ウンヘイ山岳地帯は、ドワーフ居住地の入口にあたる。ウンヘイ山岳地帯には、ドンバ王国へ、鉄鉱石と石炭を供給する市場(マーケット)がある。
「随分、にぎやかだね。鉄と石炭しか売っていないのかと思ったら、とんだ間違いだったね」これがトリスタンの感想だった。事実、そこは、ひとつの都市であった。ドワーフ、人間に限らずオークやホビットに至るまで、雑多な人々が、雑多に集合して出来上がった感のある街(集落)であった。市場(マーケット)の名は、最も偉大なるドワーフの立法者、シャイマンの名に因(ちな)んで、シャイマング市場と呼ばれている。シャイマング市場こそ、ドワーフの中心地にあたるのである。ルキアもロイスも、その壮大さに圧倒されていた。ホビット三人だけが、平然としていた。前に何度が来たことがあるという。
「ここの名物、シャイマングうどんを食べた方がいいよ」とホビットのトンスが言った。
「何だって?」ロイスが首をかしげた。
「シャイマングうどんを知らないなんてね」
トンスの妻となる予定のロマヌは、くすくす笑っている。
「早速(さっそく)、食べてみようじゃありませんか」ロイスは、トリスタンの肩をたたいた。ルキアも、ニッコリと笑っている。シャイマングうどんの店は、すぐに見つかったが、ロマヌが勧めた店に入った。《ダトニスうどん》という店だった。店はこじんまりしていたが、客で一杯だった。注文して、すぐにうどんが来た。「シャイマングうどん下さい」と注文するわけだが、何種類かあるうどんのうち、シャイマングうどんは、別格という扱いであった。魚の乾物で取ったダシ汁に、小麦で作ったうどんが入っており、たっぷりと脂(あぶら)の乗った大き目の豚肉が入っていた。実に美味(うま)そうな匂いがした。トリスタンと、ロイスと、ルキアと、トンスと、ロマヌ、そして、名前は、ハギアと言うホビットは、旅の疲れも吹き飛ぶようであった。
「あっしが、初めてこのうどんを食べたのは、ガキの頃でした」ハギアが言った。「かかあと一緒にここで食べたんですぜ。随分(ずいぶん)、古い店なんです」ハギアはトンスの従僕である、「あら、そうだったお。気付かずに入ったけれど、この店、有名だからね」とロマヌ。
六人は、むしゃぶるように、うどんをたいらげた。ナディも豚肉の切れはしを食べた。もちろんロイスが買ったわけだが。
「君たち、これからどうするの?」トリスタンが、ホビット三人に聞いた。
「結婚の準備の品物を買ったら、帰ります」
「そうかい。《怒号の石》ってすぐに見付かるかな?」トリスタンが尋ねた。
「そんな石、聞いたこともないですよ」トンスが応えた。
「ホビティアって確かなんですか?」とロイス。
「風は、そう言っているんだ」
「ナディにでも、聞いてみたらどうです?」
「ホビティアって、結構、色んな事がわかるんだよ。僕も使ってみるよ」トンスは、じっと目を閉じて、風を感じようとしている。しばらく経(た)って、トンスが言った。
「トリスタン、あんた、好きな人と、両想いになるよ」トンスが言った。
「好きな人って誰?」トリスタンが聞いた。
「それは、わからない」
「トリスタンさんと、ルキアに決まっているじゃないか。よかったですね、ご主人様?」
「ルキア、あなたはどうなの?」ロマヌが言った。
「わたし?わたしは、よくわからない。ただトリスタンには、わたしより、もっといい相手がいるんじゃないのかと思うだけ」
「そんなこと言わなくてもいいじゃないか。素直に好きだって言えばいいんだよ」とロイス。
「無茶言うなよ、ロイス。僕のことは心配しなくていいから。僕は、恋愛だけは、うまくいかないって、わかっているんだ」
「あら、どうしてなの?」とロマヌ。
「昔からなんだ。好きな人とは一緒になれないんだ。どうしてかわからいけど」
「ルキアのこと好き?」
「ルキアは、とても綺麗だね。いい娘(こ)だ。だけど、僕には無理だと思うよ」
「そんなこと言わないで、風に聞いてごらんなさいよ」
「わかった。でもねって言いたいとこだけど、人から忠告されたら、素直に聞くように、この前、ルキアに言われたから」トリスタンは、目を閉じた。トリスタンは風を感じようとしている。頬(頬)に温かい微風を感じた。なんとはなしに暖かい風であった。トリスタンは、少し笑って黙っている。
「どうだった?」ロマヌが言った。
「僕は嬉しい」とだけトリスタンは言った。
「あんまり、追及しない方がよさそうだよ。そっとしときなよ」とハギア。
「うふふ、初心(うぶ)なのね」
一行は、うどん屋を出た。しかし、ホビットが道具を揃えるのに、ドンバ王国でなく、シャイマング市場を選んだのはなぜかというと、道具のサイズだが、人間とホビットは違うし、ドワーフとホビットは同じだからという、単純な理由だった。ドラクメ金貨と、デノリ銀貨は、シャイマング市場でも使うことができる。この金と銀の貨幣は、エゴルディア大陸のどこででも使うことができる、エゴルディアの経済について、少し記しておこう。元来、通貨は、種族ごとに分かれていた。しかし、通貨統一の一番の理由は、ゴルムント教の伝播であった。ゴルムント教徒の活発な活動が、この通貨を一元化する原動力となった。ただし、かつての貨幣も、依然通用する。経済力が最も優れているのは、ドンバ王国である。鉄の生産は、どの種族にとっても重要である。そして、このシャイマング市場も例外ではない。エゴルディアでは、水上運送は、あまり発展していない。街道の整備が重要だったのであり、そこで主要な役割を果たしたのが、人間という種族である。人間が、オークやホビットやドワーフと比べて優位に立っているのは街道の整備を人間が行ってきたからに他ならない。
トンスとロマヌとハギア、彼らホビット三人は、調理器具を買いに行くという。よかったら一緒に行かないかとロマヌがトリスタンを誘った。《怒号の石》に関する情報がほとんどない今、トリスタンは、ホビットの提案に素直に従うことにした。調理器具は、北東のデンヌ地区で売っているという。一行は、徒歩でデンヌ地区に向かった。ルキアは少し嬉しそうだった。ルキアは、あまり幸福な生い立ちではないようだった。トリスタンが聞き出そうとしても黙って答えない。トリスタンは、ルキアの一見、冷たそうに見える素振りの奥に、何か暖かいもの、家庭生活への憧れが、見え隠れしているの見た。彼は、女性というものを知らないようで、知っていた。女は、自分の気持ちを、自分では決めない。好きな人から、あなたは嬉しいんだと言われれば、嬉しいし、あなたは悲しいいんだと言われれば、悲しい。特に泣いている女は、そうである。トリスタンはロマンチストだった。女は、皆、王子様を夢見ている。トリスタンは、王子としては割合良い方だ。少なくとも破天荒なロイスよりは。しかし、実際に恋愛をするのはロイスであり、奥手なのはトリスタンである。両者は興味深い双璧を成していた。ルキアは、美しい娘であったからこそ、トリスタンは辛かった。やがてくる別離の予感を彼は感じているのがトリスタンの内実だった。
調理器具選びに、ホビットたちはかなり時間をかけた。なかなか来れないからだという。鍋やらフライパンやら、色々なものを見ていたホビットたちだが、最も時間をかけたのは、包丁だった。包丁で一番良いものはドワーフの手によるものだ、と言われるくらい、ドワーフの包丁は有名である。トンスとロマヌは記念に、二人の名前を、包丁に彫り込んでもらった。トリスタンたちは《怒号の石》についての情報を集めていた。すると、ドワーフの鉱山の中心地であるカイサリア盆地に行くといいという話を聞いた。カイサリア盆地はシャイマング市場についで第二のドワーフの要所である。しかし、確とした情報は集まらなかった。ホビットたちは、カイサリア盆地には、一緒には行けないと言った。帰郷するのである。シャイマング市場にある《ペニーの宿屋》で二晩明かした後、ホビットたちは、馬車で帰って行った。トリスタンたち一行は、別離を惜しんだ。カイサリア盆地までは、徒歩で三日か馬車で一日だった。トリスタンたちは路銀の節約のために、徒歩で行くことにした。途中に宿屋もあるようだった。シャイマング市場では、「何でも屋」のドワーフが、一日あたりドラクメ金貨七枚で雇えた。名をヘシオスと言った。途中、山賊や夜盗に襲われることなく、カイサリア盆地に到着した。ヘシオスは哲学書を読むのが趣味だという。ユンマートだけではなく、ゴルムント教にも詳しいヘシオスは、皆を驚かせた。聞けば、ドワーフは案外、思索するのが好きなのだという。なぜ、「何でも屋」をしているのかと聞くと、人間やホビットとの出会いが面白いからだという。鉄器生産はドンバ王国のお家芸なのに、どうして、ドワーフの包丁が有名だと思う?との問いをヘシオスはした。皆わからなかった。鉄鉱石を鉄のインゴットにするのは、ドンバ王国で行われる。そのインゴットが逆戻りして、シャイマング市場で包丁や調理器具に変わる。どういう意味だと思う?ちヘシオスが言う。理由は簡単だという。ドワーフが使うものは、ドワーフが作るのがよいという哲学である。人間と、ドワーフ、ホビットではサイズが違うからだ。ヘシオスは大笑いした。意外とみんなわからないんだと言う。肝心の《怒号の石》については何も知らなかった。年寄りにでも聞いてみるといいんじゃないかと言うのがヘシオスの提案だった。裸で樽(たる)の中に入って暮らしている変人のドワーフがいるという。彼が最長老だという。早速(さっそく)、会ってみることになった。ロイスは苦笑いしていた。噂には聞いたことがあったという。ルキアは、ニッコリ笑っていた。知らないのはトリスタンだけだった。樽(たる)の住人は、名前を、キュクレという。かなりの変人なので、会ってくれるかどうか、とヘシオスは心配していた。カサリア盆地には公衆の広場であるストラムがあるが、そこに住んでいるがキュクレであった。トリスタンは自分がホビットと友達になれることを言えば会ってくれるのではないかと思った。一行は公衆広場ストラムに着いた。キュクレは、労せずして見つかった。
「キュクレよ、話をしてもらえますかな?人間が知りたいことがあるそうですが」とヘシオスが言った。
「トリスタンと申します。《怒号の石》と言うものを探しています。何かご存知ではありませか?」
「ふーむ、その言葉を聞いたのは、何年ぶりになるであろうか。かなり昔のことじゃ」
「どのようなものですか?」
「ものではない」
「というと」
「わしのことじゃ。《怒号の石》は、このわしじゃ」
「どういうことでしょう?」
「おぬしら、オークとひともんちゃくあったじゃろ」
「ホビティアで知りました。《怒号の石》については」
「そうなる前じゃ」
「旅立つ時に母から渡されたウリドラ聖書が誘導書(ガイウス)だったんです。それを教えてくれたのが、ゴルムント僧官のバラリアという人物でした。その時以来、この娘、ルキアが旅の仲間になりました」
「旅の目的は?」
「オルロンの槍探しです」
「オルロンの槍か。オークゆかりの品じゃな」
「何かご存知ですか?」
「オルロンの槍が、どんな力を持っているか知っているか?」
「一説によると、ウルクハイを生産できると聞きました」
「そこまで、知っておるか。ならよかろう。わし、《怒号の石》が、ウルクハイ生産の秘技を知っている数少ない一人なんじゃよ。わしがいないと、槍があってもウルクハイの生産は無理じゃろて」
キュクレは、自らの生い立ちを話し始めた。キュクレは齢(よわい)八十二歳であるという。カイサリア盆地からそれ程遠くない山奥の村で生まれた彼は利発であった。ドワーフであるキュクレは、幼少より鉱山労働をしていたが、同時に本を愛した。キュクレは、一生の間で、二つの大戦争を経験した。ひとつがドワーフとドンバ王国の戦争、もうひとつが、ゴート、カリオン、ドンバの三国大会戦、ゴレンド戦争である。ゴレンド戦争は、直接、関わったわけではないが、この時、ウルクハイ生産の秘技に接したという。ゴレンド戦争では、あまり知られてはいないが、少数のウルクハイが作られたのだという。三百体のウルクハイである。これにより、ドンバ王国のドマルト家は滅亡をまぬがれたのだという。これが真相である。ウルクハイによる反撃で、カリオン、ゴートとの講和が成立し、戦争が終結したのである。ウルクハイ生産の秘技は、通例四人しか知らないという。オークのベーメン教の祭官と、ドワーフ一人と、ホビット一人と人間一人である。そのホビットというのは他ならぬ、あのケイレン・バギンズであるという。ケイレンは、わざと真相を隠していたようだ。このように秘技を知る者が、種族ごとに分かれているのは、機密保持のためであるという。それで、どうしたらいいのか、ということであるが、トリスタンは答えに詰(つ)まった。考えられるのは、オークの存在感の大きさだった。ウルクハイを生産しようとしているオークの意図が見え隠れする。誘導書(ガイウス)の目的が明白になってきた。しかし、なぜ、オークは、ウルクハイを生産するのか。考えられるのは、戦争準備である。ドンバにあったオルロンの槍は、何らかの理由と方法でオークが持ち去った。それは強奪という形ではなく、合意の上で、ベーメン教の祭官が呪言(マントラ)を唱えて槍を引き抜いて持って行ったと思われる。ドラゴンの磐座の下にある、オルロンの槍が安置されていた地下洞穴への入り口は、ドマルト家特有の呪文で開ける魔法錠(ウンシル)で閉ざされていたわけだから、プレシオス王が同意しないと、持ち出しは不可能なのだ。ドンバ国王・プレシオスは、オークと結び、再び、ウルクハイを生産しようとしている。その過程(プロセス)の一翼をトリスタンたちが担っていることになる。何か途方もなく大きな流れが、トリスタンたちを呑(の)み込んでいる。プレシオスが主なのか、ベーメン教祭官が主なのか、ゴルムントが主なのか、判然としない。暗く大きな陰謀が見える。カリオン王国への、ドンバ王国による復讐だろうかともロイスは考えた。トリスタンもルキアもそれに近い考えだった。
「おい、ルキア、あんた、何か隠しているだろう?」とロイスがルキアに詰め寄った
「わかっています。わたしの使命なんです。今まで黙っていてご免なさい」
「正直に話してくれないかな?」トリスタンは気の毒そうに言った。
「今のわたしが言えることは、ドワーフのキュクレさん、ホビットのケイレンさん、人間のトリスタンさんを、もう一度、ゴルムント僧官バラリア様の所に連れて行かないといけないということです」
「隠していることが、他にもあるだろう、はっきり言え」
「それは…。難しいんです」
「言え!わたしの主人の重大事だ」
「トリスタン、あなたは良い人、だから、わたしが死にます」
「何だって?」
「候補者は何人かいます…。本当のことを言って、この使命を失敗させたら、わたしには死が待っています、でも、それもいいかもしれません」
「おぬしが、この若者を助けたいと思っているなら、本当のことを話したらどうだね。わしにはわかっておる。避けられないということが」キュクレが優しく諭(さと)すように
ルキアに言った。しばらく沈黙があたりを包んだ。
「わたしは、黒輪の誉れの一員(メンバー)です。ウルクハイの生産には、人間の生き血が必要です。童貞で善人の生き血が最も適しているのです。ホビティアを使えるトリスタンさんは、最も良い候補です。生き血を提供する量によっては、トリスタンさんは死んでしまいます。ここで、わたしが、真相を言ってしまったので、わたしは、バラリアに殺されるでしょう。それでいいんです」
「ルキア、ありがとう。でも、僕のために、死ぬ必要はないよ。なんとかしよう。死なないでいい生き血の提供もあるんだろうから」
「あなたは優しい人ですね。あなたの生き血で優秀なウルクハイができるでしょう。提供者が優しい人であると、ウルクハイも優秀になると言われています」
「ルキア、あんたが本当のことを言ってくれたおかげで、僕たちは、あんたを守る義務が出来たと思う。ちがいますかね、トリスタンさん」ロイスが言った。
「そうだ。僕らで、ルキア、きみを守るよ。それは、僕が君と恋仲になるためではなく、純粋に友情のためだよ。心配しなくていい」
「トリスタンさん、恋愛ってものが分かってきましたね。恋愛ができる人は、恋愛は必要ないと思っている人だから。わたしも嬉しいですよ」ロイスが言った。
「ところで、ルキアとやら、なぜドワーフとホビットとオークと人間の秘儀が必要なのか、わかっているのかね?」キュクレが言った。
「わたしが知っているのは、人間の若者の生き血が必要だということだけです」
「ウルクハイの生産には、男の人間の若者の血と、男のオークの若者の血が必要じゃ。オークの血は誰の血でもよいが、人間の血は、適切な血と適切でない血がある。ドワーフとホビットとオークの秘儀は、オルロンの槍の覚醒に必要なのだよ。覚醒した槍でなければ、ウルクハイは生産できない。先代から資格を受け継いだ、ドワーフとホビットと人間が、オークのベーメン教祭官と共に、祈祷し、各々の血液を微量採取し、混ぜ合わせ、それにオルロンの槍の刃先を浸(ひた)すと、槍は覚醒する、刃先が乾くまで覚醒は続く。人間とオークの血を混ぜ合わせたものにオルロンの槍の台尻を浸し、雌馬の膣に、オルロンの槍を台尻から突っ込む。すると馬は、ウルクハイを身ごもる。約十二ヶ月で、馬はウルクハイを出産する。というわけじゃ」キュクレは静かに目を閉じた。
「ルキア、ウルクハイの生産に必要な人間の血は、何人分なの?」
「もうすでに血液の提供者が集められているみたいです。でも何人かはわかりません。十分な数、提供者が多ければ、もしくは、生産するウルクハイの数が少なければ、血液の提供者は死なずに済むでしょう」
「それが全貌だね。オルロンの槍の謎は、解けたわけだ。結局、黒輪の誉れは、オルロンの槍のための秘密結社だったのかい?」トリスタンが聞いた。
「男の人間の若者の血液を集めるための秘密結社といっていいと思います。黒輪の誉れの活動は、それを軸にして、複数ありますが、主に殺人です」ルキアが答えた。
「ルキア、これからどうするの?」トリスタンが再び尋ねた。
「オルロンの槍を覚醒させる秘儀に関わる人間は誰かわかるかい?」キュクレが口をはさんだ。
「ドンバ国王、プレシオスでは?」ロイスが言った。
「その通りじゃ。これでわかったであろう」
「戦争は、オークと結んだドンバ王国が、カリオン王国と、ゴート王国に対して起こすことになるのでしょうか?」とトリスタン。
「そうじゃろうな。ただ、何のための戦争なのかは、よくわからない」キュクレが答えた。
「死ななくていののなら、僕は血を提供しても構わないよ。ルキア、どう思う?」
「本当に助かります。そういう人は殺されずに済むんです」ルキアは泣き出した。
「わしからもお祝いさせてくれ」キュクレは、樽の中をまさぐると一声、「ほれ、オルロンの槍じゃ」一同はあっけにとられた。キュクレが取り出したのは、短剣ほどの大きさの祭具のようなものだった。
「わしがオークから預かっておったのじゃ。真相を話そう。オルロンの槍探しは、効率的に、血の提供者を集めるために仕組まれておったのじゃ。そして、実際はオルロンの槍を手に入れた志願者が、最も価値のある提供者、すなわち、おぬしのことじゃ。わかったかの?」キュクレは、にっこりと笑った。
ロイスは感心したように深く、うなずいた。
「これで謎が晴れたな。トリスタンさん、オルロンの槍探し、成功おめでとうございます。約束通り、イゾルデ姫は、トリスタンさんのものになるでしょう」
トリスタンの胸中は、複雑であった。トリスタンはルキアに心惹かれていた。
「もしよかったら、プレシオス王に、イゾルデ姫のことを辞退することにしようと思うんだけど」
「ルキアですか?原因は?」ロイスはが尋ねた。
「ルキアが僕のことをどう思っているかは、わからない。でも、この旅は、妻探しのためではなく、僕自身の成長のためにあったと思っている。ひとまず、プレシオス王に報告に行くことにしよう」
「ルキア、あなたはどう思っているのか?」
「わたしは、定めに従います。プレシオス王が決めてくれるでしょう」
「そうじゃない、君の気持ちだよ」ロイスがつめ寄った。
「わたしは、本当のことは言いません」
「どうして?」
「失うのが怖いから…」ルキアは下を向いた。
「女はこれだからいけない。ルキアはトリスタンさんに惚れていますよ。女とは自分勝手な生き物だから」ロイスは首をすくめた、ルキアは、にっこりと微笑(ほほえ)んだ。
「めでたいな。こういうふうになるとは思わんかったわい」キュクレもにこにこしている。季節は、秋が終わり、冬になろうとしていた。