加来病院第一病棟診察室
加来典誉 はい、よろしくお願いします。吉村さん。吉村京子さん。何歳ですか。六十一。入院して?二十年ぐらい。今、困っていることは、ほぼないでしょ。ない。もう、退院は考えないでしょうね。したいことはありますか。例えば、美味しいものが食べたいとか。美味しいものが食べたい。今、一病棟ですね。六病棟に行けばね、外出で、ちょっと、美味しいところに行けるけれど。例えば、木曽路のしゃぶしゃぶとかね。食べたいですね。二千五百円ですよ、昼間。払えないことはないでしょ。まぁ、行けないことはないんじゃないかな。どうでしょうかね、どういうところがいけなくて、開放病棟の六病棟に行けないんですかね、ナース。もともとの病気は意味ないですね。統合失調症って書いてあるけれど。意味ないですね。どういうところがいけないんですか。喧嘩することがある。なんで喧嘩するんですか。イライラする。そうじゃない。気に食わない。性格かな。賢い人は、そこで我慢する人が多いだろうけれどね、そこでちょっと手が出ちゃうかな。それじゃあ、社会には通用しないということ。そこをちょっと我慢するためにどうすればいいかを考えると。そうですね。まずね、気に食わないことがあったら、よく言われていると思うけれど、看護師さんに言ってください。それか、わたしに言ってください。これは気に食わないなこの人はと思ったら、その場で解決しようと思わないで、看護師さんに言ったり、看護師長さんに言ったり、医師に言ってください。その方と話してみて、なんとか解決しようとしますから。今、いますか。いる。何人いますか。一人だけ。何歳くらい。六十ぐらい。田中さん。田中富子さん。どんなところが気になります?自分勝手。例えば?オマルのこと。どーんと、雑に扱う。横に看護師さんがついている時はやらないでしょ。やると思う。じゃあ、こういうふうに言ってください。女性の看護師さんがいいと思うけれど、看護師さん、看護師さん、ちょっと来てー、と言って、このひとはこんなことをしとると、言って、ナースにカルテに記録してもらってください。お医者さんが言ってたって、加来さんが。自分で、そこで相手を叩いたりしたらいけませんよ。そうじゃないと六病棟は遠のきますからね。三病棟かな、六病棟じゃなくて。だいぶ年取ってるからね。三病棟から、木曽路のしゃぶしゃぶですね。はい、また来週。
加来病院第一病棟診察室
加来典誉 どうやったですか、今週は。言ってみた。よかったって言ってる。そのほうがずっと嬉しいって。勝手に解決されたら困る。カルテに載ってましたよ。オマルのことらしいね。なんかな、臭いがあるのかな。気に食わない。あの部屋自体が、オマルの臭いがしてるからね。特別、富子さんが、臭いに敏感な方なのかもしれない。慣れてきたら、もう臭わなくなるけれど。だけど、わかるんじゃないかな。富子さんも、オマルですか。オマル。自分のは臭わないのかな。臭いが気になっているなら、今度、話してみましょうかね。富子さんと。話せるなら。いつかちょっとナースに聞いて。どういうことなのか聞いてみましょう。ちょっと待っていて下さい。また同じようなことがあると思いますけれど、言っておいてください、看護師さんに。また同じようなことがあったって。報告が来ますから。そういうことで、とにかく田中富子さんと話してみましょう。はい。
加来病院第一病棟診察室
加来典誉 田中さん、あの、オマルで、吉村さんと喧嘩になることがあるんですか。
田中富子 はい。
加来典誉 臭いが気になりますか。
田中富子 そうです。
加来典誉 自分のも気になる?
田中富子 気になります。
加来典誉 臭いを抑えるような処置をしたらいいかな。
田中富子 そうですね、それがいいです。
加来典誉 よしよし、そしたら、「トイレその後に」、っていうのがあるな。それをやってみるかな。ただ、危険物だからね。あんまり患者さんが勝手にやったらいけないから。ナースの負担になってもいけないし。あの部屋は、若い人はいないかな。いないね。お年寄りだけですね。間違って目に当たったりすると大変なことになりかねないから。たまにそういう人がいるから。定期的に「トイレその後に」を点けてもらうようにしましょう。わたしの意見で。オマルのことで、吉村さんと、田中さんを反目させるわけにいかないからね。みんなしてもらいましょう。あの部屋の臭いを一掃しましょう。時間はいつがいいかな。うんちをする時間は、みんないつが多いかな。朝が多い。そしたら、十時ぐらいにだいたい検温があるから、その時に、「トイレその後に」をしてもらおうかな。夜もしますか。夜はない。おしっこはするでしょ。おしっこはある。十時と、後は相談します。夜勤のナースも含めて、一日に、三回くらい。ちょっと聞いてみましょう。
加来典誉 師長さん、「トイレその後に」って。
第一病棟看護師長 ああ、ありますね。
加来典誉 どうも、吉村さんと田中さんが、オマルの臭いで喧嘩しているみたい。たしかにあの病室には臭いがあるね。ナースも入ると感じていると思う。で、慣れているから、しょうがないと思っているんですよね。オマルじゃないと、普通のトイレじゃできないもんね。やっぱりあるよ。看護師さん、慣れているけれどね。偉いね、皆さんのオマルをトイレまで持って行って、パッと捨てて、ちょっとくっついているのがあったら外したりして、有難いなと思う、偉いなと思う。ぼくはそういうことしないで指示だけ出しているだけだから。「トイレその後に」をちょっとしてみようと思う。あれを日に三回くらい、全部のオマルにする。十時が検温だから、その時に、「トイレその後に」を持ってくる。それが一番楽だと思う。それからタイミングとしてはいつですか。最後は夜勤の人が一回だから。夜勤の人から決めようか。何時ごろかな、夜勤は。七時ぐらい。七時っていったら、食事が終わって、薬を配る時がいい。そうですか。その前だったら、昼食後。それも薬を配るタイミングですね。じゃあ、そうしましょう。そしたら、師長さん、さっそく買いに行っていいですから。三個くらい買って来てもらって下さい。担当決めて、きちっとやるようにしましょう。ちょっと様子見ましょうかね。田中さんと吉村さんが喧嘩した原因は臭いだったみたいです。それがよくなったら、吉村さんも喧嘩しなくなるんじゃないかな。吉村さんのうんちが、自分のうんちじゃないから臭ったみたい、田中さん。自分のうんちは慣れているから、あまり臭わないけれど、慣れないうんちは、臭うからね。だいたい人間の鼻は慣れているものはあまり臭わないからね。そうしましょう。ちょっと、じゃあ、明日か、明後日か、いつですか。三日後ぐらい、わかりました、やってみましょう。
加来病院第一病棟診察室 一週間後
加来典誉 吉村さん、どう、なんか言って来るかな。
吉村京子 言わないです。
加来典誉 言って来ない。言って来なくなった。これで終わった。臭いが気になってたみたい。やっぱりそうか。「トイレその後に」で、だいぶ臭わなくなった。ナース、どうですか。「トイレその後に」で、なんかきついですか、負担が増えましたか。増えていない。じゃあ、いいですね。これでいいですね。これでやっていきましょう。これで、そうですね、三ヶ月か、四ヶ月、安心して暮らしたら、三病棟が空きがあったら、いいですよ。他の病棟は関係ないもんね。付き添いだね。一人では出しきらんな。神宮さんは、元気だからいいけれど、吉村さんはちょっと怖いな。付き添いで木曽路まで、とかね。ナース連れてね。一病棟でも行けるじゃないですか。月に一回、美味しい物を食べれてね。まぁ、三ヶ月か、四ヶ月、様子を見ましょう。ああ、それから、ナース、一応、「トイレその後に」の使い方だけれど、製造元に問い合わせて、六人部屋で、全員、日に三回、使用して、害がないか、調べておいてください。
「トイレその後に」は、エタノールを利用しており、アルコールに敏感な人を除いては、問題はないということだった。
加来病院第一病棟診察室 四ヵ月後
加来典誉 元気で、しかも、よく食べるし、何も問題は起こっていないみたい。三病棟は空かんね。じゃあ、ちょっと約束していたから、言おうか、ナースにも言ってたけど、木曽路のしゃぶしゃぶ。ははは。月に一回だけ、外出しましょうかね。一緒に。看護師さんと一緒に。看護師さんは付き添いということで、食べないけれどね。ごめんね、食べてもいいよ、自分でカネ払うなら。自分でカネ払うなら、食べていいよ、しゃぶしゃぶね。まぁ、お任せします、それは。うん?医療費じゃないです、出せないから。それは出しきらん。病院の経費を出すわけに行かないから。吉村さんの個人的な楽しみだから、スタッフに経費を渡すわけにいかないから。ごめんね。みんなそれをやらないといけなくなるから。まぁ、外出許可を出しておきましょう。付き添いですけれどね。月に一回。ナースの仕事だけれど。いいでしょ、月に一回。美味しい物を食べに行こうよ。月に一回、例えば、天神まで行ってもいいよ。ナースと一緒なら大丈夫だから。月に一回だから、その代わり。あんまり変わらないから、木曽路に行くのも天神に行くのも。時間的に言って、二時間くらい違うかな。その分、マンパワーかな。どれだけ、ナースが病棟にいるかで、足りなかったら苦しいっていうだけだから。ちょっと難しい話だけれど。まぁ、大丈夫だろう、と思いますよ。大丈夫でしょ?大丈夫。一ヶ月に一回だからね。何曜日がいいんですか、ナース。金曜日。じゃあ、金曜日にしましょう。
加来病院第一病棟診察室 一週間後
加来典誉 さっそく行って来た。木曽路、行って来た。美味しかった。ナースも食べた。食べた。ははは。二千五百円。よかったね。吉田さんと行った。あの人とは気が合う。気が合う。良かったね。美味しかったね。もう一皿食べたくなるんじゃない?それはない。ははは。じゃあ、今度また、吉田さんに、天神で美味しいお店、ない?って聞いてね、美味しいもの、二千五百円とか、三千円ぐらいの。ランチだったら少し安いからね。美味しいイタリアンとか、中華料理とか。楽しんで来てください。それでやってごらん。やってごらんって、馴れ馴れしくて、ごめんなさいね。そのうち、三病棟が空いたら、三病棟に行ってもいいけれどね。吉田さんがいい?そういうわけじゃない。じゃあ、そのうち、いろんな看護師さんに連れて行ってもらったらいいですよ。ここは美味しいよって。何円くらいって言ったらわかるから。千円くらいとか、二千円くらいとか、三千円くらいとか、看護師さん、わかるから。そうしてください。
二ヵ月後、吉村京子は三病棟に移動した。
加来病院第一病棟診察室 二ヵ月後
加来典誉 三病棟は、出て行けるもんね。コンビニも行けるしね。それ以上、行っちゃダメって。怖いもんね、やっぱり。転んで訳がわからなくなったら困るもんね。みんな言ってるでしょ、ナースも。転んだりしたら、怖いって。行きたいって、言っても。大橋の辺り、うろうろしたいって言っても。神宮さんにはしてもらってるけれどね。六病棟の。神宮さん、あれだけ年取って、六病棟よ、すごいね。あれだけ元気だからね。遠くに外出してもらう時に、携帯電話を持って行ってもらってる。一件しか、電話帳登録がないわけ。電話帳って言うのは、連絡先が登録されているわけね。連絡先が、加来病院しか入っていないわけ。加来病院だけしか入っていないから、もし、倒れていて、それを見つけた人が、そこしか電話掛けないよね。加来病院に連絡しやすいわけ。わたしもやりたいって?やりたい。足腰が弱いから、もうちょっと強くないとね。看護師さん、同伴で・・・。独りで行きたいの?そんなことない。止めておいたほうがいい。何が起こるかわかららないから。だって、転んだり、突然、倒れたら、大変なことになる。最近は、人が冷たいからね、転んでも、放ったらかしにする。まぁ、女の人は優しいから、大丈夫ですか、って来るだろうけれど、迷惑を掛けるからね。病院としても、その人にお礼をしないといけないから。まぁ、これからも月に一回、楽しみに行ってください。近くのセブンイレブンはいいから。本当は大橋辺りまで許可したいけれど、足腰が弱いからね。神宮さんは、あれでも足腰は強いからね。神宮さん、頭、いいよね、とりあえず、そういうふうにやっていこう。