加来病院外来診察室
加来典誉 あ、こんにちは。はい、わたくし、精神科医の加来典誉です。お名前を伺っていいですか。吉田拓郎さん。ご年齢は?三十一歳。えー、どういう感じで困っていますか。お母さん、はい。何か変な声を聞いている。ぶつぶつ言っている?聞こえますか、拓郎さん。聞こえる。気になる?気になる。嫌なことを言ってきますか、いいことを言ってきますか?嫌なことをいってくるというのは、例えば、死ね、とか、殺すぞ、とか。そういう内容。はっきり聞こえますか?はっきり聞こえる。どうしてかですか。大昔に聞いた、嫌な言葉があります。脳の中に入っているんですね。人間の脳というのは、一度、経験したことを全部覚えているそうです。ただ、思い出せないわけです。ところが、記憶の回路に、例えば、電気刺激を与えれば、パッと繋がるんです。昔ね、こんな実験をした人がいるんです。脳みその開頭手術、脳みそじゃないね、脳を手術する時にですね、まぁ開頭手術ですね、いわゆる、パカッと頭蓋骨を開けて、手術することがあるんです。意識を持ったまま、パカッと開けたことがあるんです。その時に実験したことがあるんです。脳をなぞってみたんです。どんな棒かよくわかりませんけれど、おそらく、綿棒をよく消毒したものでしょうね。ずーっとなぞってみたんです。すると、患者さんが、街の中を歩いているのが見えます、その後、右に曲がりました、と言いました。こんなふうに記憶というのは残っているんです。本来なら、病院の手術室の中にいるのに、違う風景が見えてしまったというわけです。幻聴もそれと同じでね、脳のある部分を触っていると、こんにちは、と言われることもあれば、馬鹿野郎、と言われることもあります。あまり意味のない言葉の羅列に、神経回路が繋がることがあるんです。なぜか、そこにいくようになっている。脳の構造上の問題ですね。例えば、ちょっと待ってくださいね、たぶん、そうだと思いますが、眠れなかったりしますか。そんなことはない。心の悩みはありますか。ない。食事は食べていますか。お母さんの食事を食べている。昔あったことで、隠し事がありますか。ない。じゃあ、問題ないな。脳の構造上の問題、いわゆる脳疾患でしょうね。ちょっと、待ってください。床とか壁を見てください。模様が人の顔や鬼の顔に見えますか。見えない。これはちょっと難しいな・・・。お薬は入れたくないな。脳の構造上の問題とは思うんだけれど。普通は幻聴があるから、ドーパミン障害だと思うんだけれど。ドーパミンがいっぱい出ると、床とか壁を見ると、模様が人の顔や鬼の顔に見えたりするんです。それとはちょっと違うみたいなんですよね。お薬はあまり入れたくない。どういう時に出ますか。起きたばっかりの時。そしたらね、適当にやり過ごしてください。起きたばっかりの時は誰も見ていないから。馬鹿野郎、って言われたら、お前のほうが馬鹿だ、とか、馬鹿でなにが悪いとか。適当に言っていたらいい。お母さんも気になるだろうけれど。そういうふうに彼はなっていますから。ちょっと、様子を見て、朝だけですから。三十分ばっかし格闘してみてね、気になるだろうけれど、怖いと思わずに、お付き合いしていきましょう。適当にあしらって、冗談言ってみたりしてもいいでしょうね。男の声ですか。男の声。だったら、幻聴に男の名前を付けてもいいでしょうね。じゃないと、統合失調症のお薬入れたら、副作用が出ますからね。あまり入れたくないんです。統合失調症じゃない気がする。薬でなんとかなるようなものでもないかもしれない。床や壁の模様が、人の顔に見えるなら、統合失調症の可能性は高いですけれど。脳の構造上の問題で。ちょっとそれで様子見てみませんか。本当に申し訳ないんですけれど。お母さんもそういうものだと思っていてください。聞こえてくるんです、彼は。起きたばっかりの時は、脳の回路が特定の音と繋がっているんです。例えば、夢を見ますね。あれは本当はないものですよね。見せられているんです。だから、眠った後、起きた時に、音が聞こえるということは、夢の続きが、音だけあるような感じです。たぶん、そういうことじゃないかな、理屈として。ちょっと様子見て、一週間後に来てください。
吉田拓郎の母 わかりました。
加来病院外来診察室 一週間後
加来典誉 変わらないでしょ。
吉田拓郎の母 変わらないです。
加来典誉 どうですか、わかりました、お母さん。
吉田拓郎の母 わかりました。
加来典誉 だいたいいいでしょ。
吉田拓郎の母 いいです。困ってますか、拓郎さん。
吉田拓郎 困ってないです。
加来典誉 これで様子見ましょう。あと二回、一週間おきに来てもらって、それから、一ヶ月、二週間に一回来てもらって、さらに、一カ月おきに二回来てもらって、あとは、好きな時に来てもらうようにします。
吉田拓郎の母 わかりました。
吉田拓郎は経過順調で最終的に好きな時だけに来る状態になった。