加来病院外来診察室
加来典誉 はい、こんにちは、精神科医の加来典誉です。今日は、どういうことでお困りですか。息子さん。あ、そうですか。お名前は?吉田幸次さん。何歳ですか。二十八。で、どうして、お母さんだけ?
吉田幸次の母 実はですね、ひきこもりなんです。
加来典誉 あ、そうですか。どれくらいひきこもってますか。
吉田幸次の母 二ヶ月くらいです。
加来典誉 あ、そうですか。原因は何だかわかります?
吉田幸次の母 わからないです。
加来典誉 そうですか。そうですね、ひきこもりの方については、頭では考えたことはあったけれど、実際に来られたのは、これが初めてなんですよね。わたしが、実際にお家に行きたいんですけれどね。そうするしかないと思うんですか・・・。なかなかそうはいかない現実があってですね・・・。ひきこもりに関しては、やっぱりフレキシブルに対応しないといけないかもしれませんね。ただ、わたしが幸いにも院長だからですね、ある程度こうルールを変えることができるから、まぁ、ちょっと、せっかくだから、一回、行ってみますかね、お宅に。はい、じゃないと、わからないんですよね。あれを聞いて、あれを聞いて、ということになりますからね。ご本人がいないことには、どうしようもないんです。わたしも考えていることがあってですね。こうしたらいいと、万人に同じことが通用するかどうかはわからないわけですよ。人それぞれですからね。ちょっと待ってください、ナースに相談しますから。
加来典誉 あ、もしもし、看護部長お願いします。いますか。います。はい。
加来典誉 あ、もしもし、すいません、あの、ちょっとこう、異例の対応をしないといけないことになりまして、ひきこもりの方のお母さんが来られているんですけれど、わたしが行かないことにはね、なんともし難いわけで、これこれこれこれと言ってもね、結局は、わけのわからないまま進んでしまうので、やはり、医師が実際に、ご本人の自宅に行かないことには、と思いましてね。ちょっと異例の対応で申し訳ないけれど、これを第一事例としてやってみたいと思っているんです。いつがいいですか、何曜日がいいですか。金曜日。金曜日のいつ頃がいいですか。金曜日もわたし、診察が入っていますけれど、五時まで。午前中。をあてる。がいい。わかりました。大丈夫ですね。そしたら、わたしが、午前中に、病院に行かずに、直接、お宅のほうに行きましょう。あんまり、遅くならないようにしないと。わかりました。お母さん、何時ごろがいいですか。九時ごろ。わかりました、そしたら、九時ごろ参りましょう。じゃあ、部長さん、ご迷惑をおかけしますけれど、わたし、ちょっと一応、何か残したほうがいいですか。特にない。わかりました。そしたら、何時から何時までかかったということは報告します。後はカルテと。じゃあ、失礼します。
加来典誉 じゃあ、金曜日の九時に、わたし参りますから、よろしくお願いします。
吉田幸次の母 いいんですか。
加来典誉 大丈夫です、大丈夫です。一応、引きこもりの方は、来られるだろうと思っていたんですよね。事例としては、普通の精神病と比べると、あんまりいらっしゃらないのかもしれませんが、もしかすると、結構、いらっしゃるのかもしれません。わたしも正確な数を確認していないので。でも、あまり来られなかったし、でも、もし来られた時は、どうしようということはなんとなく考えていて、患者さんのお宅まで行かないといけないだろうということは予想していたので。じゃあ、今週の金曜日、よろしくお願いします。
吉田幸次の自宅
加来典誉 タクシーで来ました。道がよくわかると思って。わたし、方向音痴なので。えー、そしたら、お邪魔します。
加来典誉 お茶、ありがとうございます。すいません。どんな感じですか、これをくれ、あれをくれ、ということで、紙に書いて・・・。
吉田幸次の母 そうそう、そうです。
加来典誉 一般的な感じですね。ひきこもりではよくある。
吉田幸次の母 そうですか。
加来典誉 よく、あの、欲しいものを紙に書いて、ぽんとおいてい置いて、お母さんが入れるというような感じでしょうね。うん、そしたら、ちょっと聞いてみたいことがあります。今、元気ですか。
吉田幸次の母 元気です。
加来典誉 そしたらですね、えー、まず第一、朝が元気がなくて、夜が元気になるかどうか。それから、第二、起きている時に、時々、壁とか床とかの模様とか汚れがハッキリ見えてきたりですね、周囲の音が気になったり、嗅覚が非常に鋭くなって、臭いが気になることがあるか、それから、第三、昔あったことで、何か隠し事があるんじゃないか。昔、エロティックなことで隠し事があるんじゃないか。それから、第四、自分と他人が随分違うなというのを昔から感じていた。この四個です。メモしてもらって、マル、バツ形式で送ってもらったらいいと思います。ちょっとやってみてください。お医者さんが来ていると、お医者さんは入院させるつもりはないと。入院はさせたくないと。入院は自傷他害の恐れのある人だけだと、自分や他人を傷つける恐れがある人だけ入院だからと。
加来典誉 どうですか、マルだったのは、朝が元気がなくて、夜が元気がある。ああ、鬱病だ。わたしはですね、ひきこもり病というのはないとふうに思っているんです。もしかすると、ひきこもり専門の先生とかは、ひきこもり病があると思われているかもしれないけれど、わたしもひきこもったことがありますけれど、いわゆるひきこもり病というのはなくて、普通の精神疾患の一形態、一症状として、ひきこもりがあると。例えば、風邪になると、のどが痛くなる、熱が出る、咳が出る、と症状が出ますね。のど痛い病とか、高熱病とか、咳病とか、そういうのはないですね。原因は別のものであって、ひきこもりそのものじゃないわけです。鬱病が本当の病気、ひきこもりは症状です。統合失調症が本当の病気で、ひきこもりになる人もいる。神経症が本当の病気で、ひきこもりになる人もいる。人格性障害が本当の病気で、ひきこもりになる人もいます。その順番になっています。わたしが、最初、朝とか夜とか言いましたね、これが鬱病、神経が異常に研ぎ澄まされるというのが、統合失調症、昔のことで隠していることがあるかどうかが、神経症、自分と他人があまりにも違いすぎるというのが、人格性障害。というふうに分類しているわけです。その中の一つというわけです。鬱病ですから、何か落ち込むことがあったんでしょうね。それか突然かもしれない。ちょっと聞いてみましょうね。次に聞くこと。突然、ひきこもりたくなったんですか、何か、原因があるんですか。お薬は飲みたいですか、飲みたくないですか。ちょっと聞いてみてください。
加来典誉 突然、なったわけじゃない。原因がある。お薬は飲みたくない。なるほど。そしたら、これは間違いなく、心因性、心の悩みが原因で、鬱状態になったということですね。そうですね、一番よくあるのは、失恋ですかね、だったり、仕事の失敗であったり、どっちかだと思います。これも聞いてみましょう。うるさいって言われるかもしれないけれど。鬱病になった原因は・・・。鬱病だと診断します。鬱病になった原因は、仕事のストレスですか、失敗ですか、恋愛の失敗ですか。お母さん、どっちですか、恋愛結婚ですか、お見合い結婚ですか。恋愛結婚。じゃあ、仕事の失敗でしょうね。おそらく、仕事の失敗じゃないですか、と聞いてください。
加来典誉 仕事の失敗。なるほど、そうでしょうね。合わない仕事だと思ってるのかな。出てきませんかと。わたしが入りましょうかと。話したくないのかな。話したいみたい。じゃあ、ちょっと入ったほうがいいですかね。入ったほうがいい。じゃあ、お母さんはどうしたほうがいいんですか。いないほうがいい。
加来典誉 精神科医の加来典誉です。吉田幸次さん、二十八歳。えー、仕事、あんまり合わない?
吉田幸次 合わないです。
加来典誉 どんな、仕事です?営業。どんな仕事がいいですか。事務がいい。部署を変えられたらどうですか。
吉田幸次 そうですね。
加来典誉 お願いして。
吉田幸次 わかりました。
加来典誉 二ヶ月病気で休んだと。合わなかったと。先輩で嫌な人がいましたか。
吉田幸次 そうじゃないです。
加来典誉 部署を変えられたらいいですよ。無理だと、営業は。やってみたけれど。営業の経験は非常に役に立ったと。こういうことしていると分かったから、営業がわかる事務になるんだと、そういうふうに前向きに言えば、雇用主の方も理解できると思います。わたしは向いていないから事務がいいです、と言うと、雇用主は嫌がりますから。いい経験ができましたと、営業で、だけど、わたしは事務のほうが肌に合っているようですから、営業のわかる事務でお願いしますと言えば、だいたいいいと思います。それか経理とか。無理だったら経理とか。でね、治療しないといけない。今の状態でいきなり会社に行ってもいいんだけれど、ちょっとびっくりですね。まぁ、ひとつ、それか、ふたつ、それか、みっつ。何か日課を決めてください。部屋から出れます?出れない。そしたら、部屋の中で何か決めてください。本を百ページ読むとか、筋トレをするとか。それだけ済まして、できれば身体を動かしてください。それを二週間、三週間ぐらいしたら、だいぶ元気になっていると思いますよ。出たいと思った時に部屋から出てみてください。だいたい出るとですね、あー、昔の自分が返ってきた、こんな感じだったな、と思います。わたしも経験ありますから。わたしもひきこもったことがありますから、中学と高校で。まぁ、ちょっとやってみてください。お気持ちはだいたいわかります。わたしがなったことあるから。わたしも病気の綜合本舗でね。鬱病のひきこもりと、統合失調症。神経症と、人格性障害はなったことないですけれどね。でも、得しました、今は病院の院長しているけれど、病気の人の気持ちがわかるから。ちょっとやってみてください。また来週来ましょうかね。それか、お母さんに報告してもらいましょうかね。事前に電話します。行く必要があるかどうか、確認しますから。何かあったら、手紙でお母さんに知らせてください。入院はしないでいいですから。人を傷つけたり、自殺未遂したりする人が入院だから。後はひどい鬱病、人が無理矢理動かさないと何もしない人とかですね。こういう人は、入院です。じゃあ、帰ります。
吉田幸次 わかりました。
加来典誉 お母さん、帰ります。もし、来週、わたしが自宅に来る必要だったら、木曜日か、もっと早く連絡してください。必要なければ、月曜日か木曜日に、外来診療に来られてください。お母さんだけ。
吉田幸次の母 わかりました。
加来病院外来診察室
吉田幸次の母 日課を決めてやってると言ってました、筋トレとか。
加来典誉 わたしが言った通り、やられているようですね。よかった。少しずつ元気になるでしょう。息子さんに言うのを忘れていたんですけれど、もし可能なら伝えておいてください。身体を動かすと、元気になるんです。ずっと寝ているとどんどん元気じゃなくなるんです。人間の身体は休むと元気じゃなくなるようになっているんです。寝ている時に元気になった困りますからね。おそらく身体を動かすと、セロトニンという脳内の物質が増える、休むと、減ると予測されています。セロトニンが元気かどうかを決めているようです。また、決めている日課を果たすと、ポジティブな気分になると、意欲が湧きます。ちゃんと決められたことをやったぞ、自信もついだぞ、次もやるぞ、と意欲がわきます。脳内で意欲を司るノルアドレナリンという物質が分泌されるようです。鬱病の薬物治療も、セロトニンとノルアドレナリンに働きかけるものなんです。すいません、理屈っぽくなりましたが。
加来病院外来診察室 三週間後
吉田幸次の母 出れました。
加来典誉 よかったですか。会社に行きたいと。いいんじゃないですか。ご本人は来れますか。お母さんのほうがいいですか。
吉田幸次の母 いえ、本人で大丈夫です。
そうですか。そしたら、ご本人に病院に来てもらうとして。特に問題はないと思います。毎週来てもらって、三回でいいですよ。あとは好きな時に来てもらうということになります。よろしくお願いします。
吉田幸次の母 わかりました。
吉田幸次は三週間ほど経過順調で最終的に好きな時だけに来る状態になった。