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思索とアートとヘアカット
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まえがき

わたしが初めて精神病になったのは、高校二年生の時だった。その時に服薬を開始した。正確には、中学二年生の時にも鬱症状になっている。その後、二十歳のときに、アイドル(上原多香子)から愛されていると主張し、それが妄想ということで、精神病院に計六ヶ月、保護者である両親から強制入院(医療保護入院)させられた。退院後しばらくして、自己判断で薬を止め、再び六ヶ月、強制入院となった。その後、また自己判断で薬を止め、二年間強制入院となった。その後、薬を飲んでいるにも関わらず両親から強制入院させられ、六年間入院した。

これらの入院を雑観してみて思うのは、いつも恋愛が引き金になって精神症状が始まっているということだった。このことは、精神科医は気付いていなかったかもしれない。わたしはそのことを精神科医に告げていなかったからだ。しかし、両親にはそのことを告げていた。そして、わたしの病気は恋愛が成功することによってのみ完治すると語っていた。なぜならこれを執筆している今まで、一度もわたしは彼女というものを持ったためしかないからだ。しかし、両親の見解は否定的であった。恋愛と病気は無関係であると両親、特に母親がそう主張した。わたしは納得できなかった。両親はひたすら「薬、薬」であった。毎日のように、「薬は飲んだのか?」と両親に聞かれ、わたしはうんざりしていた。「薬=精神病=劣等人間」というレッテルを貼られているようで、屈辱感と悔しさで一杯だった。わたしが薬を何度も止めようとしているのもご理解いただけるのではないだろうか。

わたしは、精神障害者である。精神薬を飲み続ける限り、わたしは精神障害者であり続けるのだ。だから、わたしは薬を止めたいと思うのである。すなわち、精神障害者であることを、わたしは止めたいのである。しかし、それは現実問題として難しそうである。精神薬、特に統合失調症(旧名:精神分裂病 妄想、幻聴、幻覚などの症状)のための、抗精神薬には、依存性がある(中毒性はないが、服薬を止めると症状が再発する)。抗精神薬には、ドーパミンという物質をブロックする作用があるのだが、一定の期間、服薬すると、脳が、より多くのドーパミンを出そうとするようになる。例えるならば、水道の蛇口を手で押さえて、水を出すと、水は出ない。そして、手を蛇口から放すと、いきよいよく水が放出されるのに似ている。精神薬には、睡眠時間が長くなる、疲れやすくなる、ろれつがまわらなくなる、手が震える、などの副作用がある。いよいよもって止めたくなる。わたしは、素敵な女の人と一緒に恋愛がしたい。それが夢なのだ。たとえ、薬が止められないにしても、恋愛くらいはしたい。しかし、これはわたしだけの問題ではなくて、多くの精神障害者が同じような悩みを持っているということをここで明かしておきたい。しかし、精神障害者、特に統合失調症の患者はもともと非社交的で、社会的能力が低い。さらには、抗精神薬によって、社交性と社会的能力をさらに低くされている。精神障害者の恋愛はとても難しい。

精神障害には、大別して、統合失調症、鬱病、神経症、人格障害、薬物依存がある。ほとんどが、統合失調症と鬱病である。統合失調症は、欲しい人、物が手に入らない悩み(求不得苦)、鬱病は、愛しい人、物との別れる(もしくは「た」)悩み(愛別離苦)である。 求不得苦、 愛別離苦ともに、仏教用語である。統合失調症になる引き金として有名なのが、「色」「カネ」「名誉」である。「色」とは、異性と付き合いたいという欲求、「カネ」は金銭に対する欲求、「名誉」とは、人から尊敬されたいという欲求である。統合失調症の患者のほとんどが、おそらく、「色」が引き金になって、発症しているものと思われる。発症しやすい年齢は、十代後半から三十代前半までであることからもそのことがよくわかる。

わたしは映画監督になりたいという夢を持っていた。そして、ほかには、父の会社の後を継いで、経営者になるということも考えていた。しかし、その時のわたしの主治医(デイケア付きクリニック院長で他界)は、「あきらめるように」わたしに言ってきた。彼の実家が仏教のお寺だったこととも関係していたのだろうか。彼をあえて弁護するなら「あきらめ」が重要であるという一種の信仰めいたものが彼にあったのかもしれない。映画監督は社交性がないといけないし、経営者になるためには、あなたには人を束ねていく能力がない、と断言されたのだ。彼が言っていたのは、「野球でいったら、患者さんはプレイヤー、精神科医は監督である」ということであった。わたしはこの発言に激しい怒りを感じた。人生で右に行くのか左に行くのかを決めるのは患者本人であって、精神科医ではないということ。すなわち精神科医は、百歩譲っても、野球で言ったらコーチぐらいの存在感しかないと、わたしは思うのだ。その精神科医にわたしが感じていたのは、患者を見下し馬鹿にする尊大な態度であった。

精神病院への入院には、大別して三種類ある。「任意入院」「医療保護入院」「措置入院」。任意入院は、患者本人のお金と意思で入る入院で、原則、本人が希望すればいつでも退院できる。ただし家族のお金での入院の場合は、自分の好きなときには退院できない。その場合は医療保護入院と同じである。医療保護入院は、精神症状が悪化していると患者の家族と精神科医が判断した場合に、警察沙汰を起こしていなくても、強制的に入院させることができる入院形態である。事前予防入院とも言える。退院には、家族の同意が必要である。もし仮に、精神科医が退院してよいと判断しても、家族が同意しなかったら、退院できない。逆に精神科医の退院してよいという判断がなくても、家族の意向で退院させることができる。医療保護入院は単に家族を捨てるための便利な方法になっているとしか思えない。精神科医が退院していいと思っているなら、退院していいはずである。医療保護入院は間違った入院形態である。患者本人は入退院を決められないで、親や保護者が決めてしまえるようになっている。(わたしはこれで何度も入院させられた。)措置入院は警察沙汰の入院である。退院には精神科医の許可が必ず必要である。場合によっては、医療保護入院や任意入院への変更がある。

精神病というのは、社会的な病である。胃がんや、腎臓結石などの「普通」の病気が、患者本人にしか、病気の被害がないのに対して、精神病は、精神症状によっては、周囲の人を大いに困らせる(例えば、暴れまわったりして)ものである。したがって、周囲の人(多くは家族)が、困り果てて、精神病院を訪ねるというケースが多い。そして、強制入院となる。「普通」の病気なら、患者本人が治療拒否してもよいが、精神病は許されないのである。これが拡大していくとどうなるのか。精神科医は、常に患者でなく、患者の家族の顔を見て、何事も決めるようになる。わたしはこれに疑問を感じる。確かに、患者の能力は低くなっているかもしれないし、わけがわからないことを言っているかもしれない。しかし、精神科医には、患者本人に向かい合う義務があるとわたしは思うのだ。

わたしはこの戯曲形式の小説を書くに当たって、自分(加来典誉)をわたしが考える理想的な精神科医になった(こんな精神科医がいたらいいな)と仮定して、執筆した。わたしの理想とする精神科医には三つの軸がある。

  その一。患者の夢をあきらめさせる医療から、患者の夢を実現させる医療へ。
  その二。患者の家族中心の医療から、患者本人中心の医療へ。
  その三。薬物中心の医療から、原因療法的な医療へ。

 その一とその二に関しては、すでに述べたことから類推できると思う。その三についてだが、精神科で出す薬剤はすべて、症状を緩和させるためのものであって、病気の原因を治療するものではないとういこと。脳の構造異常(わたしは脳疾患と呼ぶ)ではなく、心の悩み(色、カネ、名誉や、大事な人、物との別れ)の場合では、それを解消させる。わたしの場合では、恋愛を成功させる、といったアプローチでやっていくことである。これは、その一に関することでもある。この三つの軸は、精神科医なら誰でも一度は思うことであり、また、実現がかなり困難なことでもある。患者風情で、大変おこがましいのではあるけれど、わたしは、現在の日本の精神医学界に、この小説で、これら三軸を実現させるための、治療に対するいくつかの提言をしたいと思っている。


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