グレイビアードのパニタスとガントレの指示通り、トリスタンはオーク地帯の首府であるゲヘナのオーク政庁を目指した。アトス山からゲヘナまでは歩いて半日くらいである。
ゲヘナに到着したトリスタンは、地上のオークの宿屋《レギンの宿屋》に泊まった。一泊で料金はドラクメ金貨一枚であった。日没後、トリスタンは地上にあるオーク政庁に向かった。道行くオークに尋ねつつ、ほどなくして、オーク政庁に到着した。日光を嫌うオークは夜を生活時間にしている。トリスタンはオーク政庁外務局の門をくぐった。トリスタンは、受付のオークの役人に声をかけた。
「二百五十六人目のグレイビアードである、トリスタン・ゴランザと申します。トリマスの大斧(おおおの)の所在をマラキ帝に尋ねに参りました。グレイビアードからマラキ帝への贈り物としてドラゴンの知恵の書『G』を持参しております。この書籍はマラキ帝以外には渡せません。グレイビアードから連絡は、ありませんでしたか?」
「わたしは聞いていませんが、他の者が聞いているかもしれません。しばらく、ここでお待ちください」受付のオークの役人が答えた。
二十分ほどして、先程のオークの役人が、別の役人(こちらは女性)を連れて戻ってきた。
「二百五十六人目のグレイビアード、トリスタン・ゴランザさん、初めまして。わたくしは、コルト・カツマーダ・エレンと申します。グレイビアードのガントレさんから、お手紙を頂いておりました。トリスタンさんは、二百五十六人目のグレイビアードにふさわしい方だと伺(うかが)っています。ドラゴンの知恵の書『G』は、トリスタンさんが、直接、マラキ帝に渡していただくのが良いと考えております。いかがですか?」エレンは微笑して言った。
「わたしも、それで良いと思います」トリスタンは首肯(しゅこう)した。
「トリスタンさんが、お探しの斧の名前をもう一度、教えてください」
「トリマスの大斧です」トリスタンが答えた。
「では、トリスタンさんは、オークの通行証をお持ちですか?」エレンが尋ねた。
「持っています」トリスタンは「テラウス」と唱えて、胸を見せた。トリスタンの胸には「△」が浮き出ている。
「その通行証は、どこで手に入れたのですか?」
「オルロンの槍探しの際に、ドンバ王国首府イスファのフリードラ寺院にて、ゴルムント僧官バラリアから受け取りました」
「確かにグレイビアードから頂いた手紙の内容と一致していますね。認証が取れましたので、トリスタンさんはマラキ帝に会うことができます。わたくしが、トリスタンをマラキ帝の《玉座》へと、ご案内いたします。よろしいですか?」エレンが言った。
「よろしくお願いします」トリスタンが答えた。
「オーク政庁が五角形(ペンタゴン)であることを知っていましたか?」エレンが尋ねた。
「知らなかったです」とトリスタン。
「オーク政庁は、学務局、内務局、外務局、軍務局、刑務局の五つの局で構成しており、それぞれの出入口が五角形(ペンタゴン)の頂点に当たります。それでは玉座に参りましょう。どうぞこちらへ」エレンが手招きした先には、階段があった。トリスタンとエレンは階段を昇った。
「この渡し廊下は、各局の入口に一箇所、玉座への出口に一箇所、左右に六箇所ずつ階段があります。全部で五本の渡し廊下がオーク政庁の五角形(ペンタゴン)の頂点から中央点である玉座出入口にそれぞれつながっています。どうですか、オーク政庁の役人たちが働いているのが見えるでしょう?」エレンが言った。
渡し廊下の階上はアクリルの樹脂のような透明の板で覆われている。
「役人たちの姿はよく見えますが、声は聞こえませんね」トリスタンが言った。
「渡し廊下は防音構造になっています。オークの役人たちをご覧になって、どうです?トリスタンさん、オークに対する印象が変わりませんでしたか?」エレンが尋ねた。
「というと、どういうことですか?」
「オークにとって『悪』ということは、重要な意味を持っています。ゆえにオークが邪悪であるとの印象を、人間やホビットやドワーフで持っている人は多いのです。しかし、『悪』が治世の根幹の原則では、そもそも治世が成り立たないのではないかと思いませんか?」
「そう思います」
「悪には、自分のための悪と、他者のための悪があります。悪人には、弱い悪人と強い悪人がいます。わたしたちオークの役人は、他者のために悪を行う、強い悪人を理想としています。刑罰を受ける覚悟で、自分以外の他者のために悪を犯すことは強い悪人しかできません。そして、それがオークでは最も称賛に値する行為なのです。善が秩序、悪が無秩序。善が合法、悪が非合法。こういう図式では、オーク政府には矛盾が存在することになります。治世は、法の執行による秩序と言えます。オークの役人にとって『悪』とは、オーク社会の自己矛盾を解決する超法規的行為なのです。オークの役人は秩序を愛しています。しかし、閉塞(へいそく)した現状を打破し、新しい秩序を打ち立てるために無秩序である『悪』の力を使います。人間の多くは善を賛美し、悪を否定します。わたしたちオークは、怒り、憎しみ、恐怖といった悪の側面を否定せず、必要なものとして是認(ぜにん)します。生があれば、死があり、善があれば、悪があります。こういった根本思想は、オークの宗教であるベーメン教の教理でもあります」
エレンとトリスタンは、そのまま三十分ほど渡し廊下を歩いた。
「玉座の入口です。もうすぐ玉座です。トリスタンさん、わたしがいいと言うまで両目を閉じてください。よろしいですか?」エレンが言った。
「わかりました」トリスタンは両目を閉じた。
「それでは参ります」
バチバチバチ、と五、六回、閃光(せんこう)が起こった。
「トリスタンさん、目を開けていいですよ。玉座に到着しました」
トリスタンが目を開けてみると、赤黄色く光った溶岩マグマが幾何学模様に配置された床石の岸辺に打ち寄せている光景が見えた。その奥には、人間の成人男性の身長ほどの幅の階段がある小さなピラミッドがあった。ピラミッドの頂上には、衛兵(えいへい)と思われるオークが二人、立っていた。
「マラキ帝に、ご報告です。二百五十六人目のグレイビアードであるトリスタン・ゴランザさんを、お連れしました。拝謁(はいえつ)を希望します」エレンが衛兵に呼びかけた。
二人の衛兵は、ピラミッドの頂上にある入口に姿を消した。十五分ほどして、衛兵二人は、人間の五歳児ぐらいの身長のオークを伴(ともな)って出て来た。ピラミッドの頂上には石で出来た椅子(いす)があり、二人の衛兵は、その左右に立ち、小柄なオークはその椅子(玉座)に座った。
「トリスタンさん、マラキ帝です。ご挨拶をお願いします」
玉座への突然の移動と、初めて会うマラキ帝が、このような小柄なオークであったことに驚きを隠せないトリスタンであった。
「初めてお目にかかりますトリスタン・ゴランザと申します。二百五十六人目のグレイビアードとして、特別にアトス山から下りて参りました。わたしは黒龍ドリスカルドと共に、生きたまま黄泉(よみ)の国、ソブンガルデへ行かなければなりません。そのため、わたしとわたしの祖先が代々、探し続けてきた、トリマスの大斧(おおおの)が必要です。トリマスの大斧の所在はマラキ帝がご存知と承っております。わたしが、最初期のグレイビアードであるパニタスから託された龍(ドラゴン)研究の結晶である知恵の書『G』を、マラキ帝に献上いたします。よろしくお願い致します」
「朕(ちん)が小さいことに驚いているのであろう。朕は齢(よわい)二○六五歳である。朕が生まれたのは奇(く)しくもドラゴリス歴の元年なのだ。この玉座はオークの首府ゲヘナの地下最深部にあり、人間で玉座まで来れたのはほんの数人しかいない。グレイビアードが最期の時を迎えたことはとても感慨深い。二百五十六人目のグレイビアードであるトリスタン、ひとまず貴殿(きでん)に歓迎の意を表することにする。よくぞ来られた。トリマスの大斧は、ドンバ王国首府イスファのゴリアマ城にあるドラゴンの磐下にある地下洞穴宝物庫に納められておる。朕が今、右手に持っているこの『立法体(キューブ)』と、ベーメン教祭官の呪言(マントラ)がないと、トリマスの大斧を取り出すことはできない。トリスタン、ドラゴンの知恵の書『G』を朕にひとまず見せてくれないか?」マラキ帝の声は子供のように若々しい。
「もちろんです、陛下」トリスタンは『G』を両手で捧(ささ)げ持った。衛兵の一人がピラミッドから降りて来て、トリスタンから『G』を受け取り、再びピラミッドの階段を昇り、マラキ帝に『G』を手渡した。マラキ帝は、二十分ほど『G』を眺め読んだ。
「グレイビアードの研究の結晶を、我が手に入れたこと、望外の喜びである。朕を信頼してくれたグレイビアードに深く感謝したい。ゴルムントについて知りたいことが貴殿トリスタンにはあるようだな。朕はゴルムントに会ったことはない。ゴルムントは、確かに実在したオークではあるのだが、ゴルムントに会ったことがある人物は今では、ほとんどいないため、ゴルムントは伝説のように考えられることもある。ゴルムントが生きているのか死んでいるのかもわからない。しかし、ゴルムント教には普遍性があり、オーク、人間、ホビット、ドワーフと、種族を超えてゴルムント教が広まったことは確かだ。実際に教団を取り仕切っているゴルムント僧官は、祈りと瞑想を通じてゴルムントの意志に従っていると言われている。ルキアという黒輪の誉れのメンバーを、ゴルムント僧官バラリアから解き放ちたいなら、黄泉の国ソブンガルデに行き、ゴルムントと意思の疎通(そつう)を図(はか)らなければならないだろう。他に朕に尋ねたいことはあるだろうか、トリスタン?」マラキ帝が言った。
「ゴブリニッシュ貨幣鋳造局は実在するのですか?」トリスタンが尋ねた。
「オークがエゴルディア大陸に流通する貨幣を鋳造していることは秘密になっている。オークでも知らない者の方が多い。ゴブリニッシュ貨幣鋳造局は、オーク政庁学務局の内局として秘密に運営されている。ゴルムント教の伝播(でんぱ)が、それまで種族ごとに別のものであったエゴルディア大陸の通貨の統一の原因になったことは重要である。朕はベーメン教の最高権威者であるが、ゴルムント教と共存して治世にあたっていかねばならないのが現実である」
(イゾルデ、マラキ帝から聞くべきことは、もうないかな?)トリスタンは心に念じた。(立方体(キューブ)とベーメン教祭官について、それからトリマスの大斧(おおおの)の使い方を聞かないといけないよ)冥府のイゾルデが返した。
「マラキ皇帝陛下、立方体(キューブ)とベーメン教祭官をわたしのために用意していただけるのですか?」
「もちろんだとも。衛兵、この立方体(キューブ)をトリスタンに渡しなさい。それから、ベーメン教祭官ザーマを連れて来なさい」
「トリマスの大斧の使い方を知りたいのですが、教えていただけますか?」衛兵から立方体(キューブ)を受け取ったトリスタンが尋ねた。
「トリマスの大斧には鈴(すず)がついている。ゴリアマ城のドラゴンの磐座で、トリマスの大斧の鈴を鳴らすと、黒龍ドリスカルドが現れるであろう。そして、トリスタンが黒龍ドリスカルドに股(また)がった後、空中でトリマスの大斧をかざすと次元が切り裂かれ、ソブンガルデへと転送される。そして、トリマスの大斧には刃先に特徴がある。前の刃を相手の首に当てると、その相手は、何の苦しみもなく、死に至る。一方、後ろの刃を相手の身体(からだ)に強く当てると、その相手は、激痛にもだえ苦しんで、死に至る。トリマスの大斧が、このような刃先の特徴を持つ理由はソブンガルデに行けば分かると言われている」マラキ帝が答えた。
「マラキ帝、ベーメン教祭官ザーマを連れて参りました」衛兵が戻って来て言った。
「マラキ帝、ご無沙汰しておりました。お話は伺(うかが)っております。トリスタン、わたくしはヤハン・スカラ・ザーマと申します。この度(たび)はドンバ王国への旅をご一緒させていただきます」男のオーク、ザーマが挨拶した。
「トリスタン、ザーマは信頼できる男だ。彼はソブンガルデにトリスタンが行くための大きな手助けとなるであろう」マラキ帝が言った。
「マラキ帝、旅の成功を願って、祝杯をあげましょう。つまみのトカゲの刺し身も持って参りました。ドンバ産の醤油(しょうゆ)で頂きましょう」
衛兵とザーマとエレンは、玉座にて、酒の杯(さかずき)と、刺し身の皿を用意した。一同は乾杯した。初めて食べるトカゲの刺し身は、トリスタンにも美味であった。
「わたしは自他ともに認める美食家です。オークだけでなく人間にも美味(おい)しい食べ物となると、本日の酒と刺し身になりました。米清酒のゴルト酒とオスルトカゲの刺し身、どうでしたか、トリスタン?」ザーマが尋ねた。
「どちらも美味(おい)しかったです。ありがとうございます」トリスタンが答えた。
「ザーマ、ドンバ王国イスファへの専用馬車として、朕が所有する帝室馬車を手配しよう。何日くらいでイスファに到着できるだろうか?」マラキ帝が言った。
「車中泊し、休憩(きゅうけい)も合わせて、五日ほどと思われます」ザーマが答えた。
「人間であるトリスタンさんに合う食料も用意しなければなりませんね」エレンが言った。
マラキ帝の帝室馬車の準備は、半日ほどかかった。マラキ帝の玉座を辞去したトリスタンとザーマは、オーク政庁の客間で、待機した。帝室馬車は、日光を嫌うオークのため、窓には遮光(しゃこう)カーテンがついていた。オークの首府ゲヘナからドンバ王国首府イスファまで、腕のいい馭者(ぎょしゃ)のおかげもあり、特にトラブルにも遭(あ)わず、無事に旅ができた。関所がドンバ王国に在(あ)ったが、オークの帝室馬車ということで、ほぼ素通りであった。
(イゾルデ、父のグレオスと母のジェシカに会うかどうか悩んでいる。どう思う?)
(グレイビアードのアトス山から生きて帰れたことは良かったけれど、ゴリアマ城のドラゴンの磐座から黄泉(よみ)の国ソブンガルデに行くということで、会うと、かえって、ご両親を心配させると思うよ)
(そうだね。両親には、ソブンガルデから戻ってから会うことにするよ)
イスファに入った帝室馬車はゴリアマ城へと向かった。時刻は正午過ぎである。季節は秋から冬になろうとしていた。帝室馬車はゴリアマ城の城門前で停(と)まった。しばらくすると、城内から数名の衛兵が出てきた。馭者がトリスタンに、そのことを告げると、トリスタンは帝室馬車を降りた。
「ゴランザ武器商グレオスの息子トリスタンです。二百五十六人目のグレイビアードとしての役割を果たしに参りました。お話の分かる方はいらっしゃいますでしょうか?」
「トリスタン・ゴランザさん、ようこそお帰りなさいました。オークの帝室馬車でのご来訪に、当方は驚いております。ロンコイ逓信庁などによる連絡もなく、プレシオス王には直(じか)にお会いいただいて、お話されるのが良いと思われます。プレシオス王に取り次ぎますので、簡単にご来訪の目的を教えて下さい」
「わたくし、トリスタンは、生きたまま黄泉の国ソブンガルデに行くため、黒龍ドリスカルドを呼び出し、次元を切り裂くため、トリマスの大斧(おおおの)を必要としています。トリマスの大斧は、ドラゴンの磐座の地下洞穴にある宝物庫にあると、オークのマラキ帝から告げられました。また、トリマスの大斧を取り出すには、今、わたしが持っている立方体(キューブ)と、同行しているベーメン教祭官ザーマの呪言(マントラ)が必要です。以上が、来訪の理由になります」
ザーマも帝室馬車から降りた。ザーマは、日光を避けるためフード付きのローブをまとっている。馭者は帝室馬車を、ゴリアマ城の城内へと引き入れた。トリスタンとザーマは御者を残して、衛兵と共(とも)にプレシオス王の王座の間へと向かった。
(ねぇ、イゾルデ、ルキアの誕生の秘密は、プレシオス王には内緒にしたほうがいいよね)
(ルキアが、プレシオス王とカナルディア王妃の実の娘だということだよね。まだ、教えないほうがいいと思うよ)
(ルキアとロイスの、その後についてプレシオス王に尋ねるのはどうだろう?)
(それは大丈夫だよ)
(僕がイゾルデと、こんなふうに話せることは、プレシオス王に言っていいかな?)
(プレシオス王がグレイビアードのことを知っているかどうかだと思うよ。もし知らないのなら、黙っていたほうがいいんじゃないかな)
トリスタンとザーマは、ゴリアマ城の王座の間で、三十分ほど待った。プレシオス王が、宰相ホミルを伴(ともな)ってやって来た。プレシオス王は、王座に座り、ホミルは、側(そば)に立っている。
「トリスタン、よくぞ戻られた。それから初めて会うベーメン教祭官ザーマ、よろしく。グレイビアードについては、ホミルから聞いている。グレイビアードが、アトス山を降りてくることは、まずないことのようだが、どうかな?」
「グレイビアードは創設から千年以上が経っています。最初期の創設者の三人の一人であるパニタスというグレイビアードによると、わたくし、トリスタンは、二百五十六人目のグレイビアードであり、黒龍ドリスカルドと共に、生きたまま黄泉(よみ)の国、ソブンガルデに行かねばなりません。そのため、ドラゴンの磐座の地下洞穴宝物庫にあるトリマスの大斧が必要です」トリスタンが言った。
「トリマスの大斧は名前すら知らないのだが、どう思う?」プレシオス王が言った。
「オーク首府のゲヘナでマラキ帝からトリマスの大斧の所在を聞きました」トリスタンが言った。
「トリマスの大斧があるとして、トリスタンが黄泉(よみ)の国に行くのは、やはり、死んだイゾルデ姫と再会するためなのか?」プレシオス王が言った。
「グレイビアードは皆、恋人と死に別れており、自分の最愛の女との再会と結婚を望んでいます。わたくしとて例外ではありません」トリスタンが言った。
「ホミル、どう思う?」プレシオス王が言った。
「トリスタン、あなたはイゾルデ姫を、この世に連れ戻すつもりなのか?」ホミルが言った。
「はい、そうです。黒龍ドリスカルドとわたしが、白竜カレンとイゾルデを、この世に連れ戻し、アトス山のグレイビアードたちに、その姿を見せることで、死後の世界に自分の最愛の女が居(い)ると言う証明をしなければなりません。その後、黒龍ドリスカルドと白竜カレンとわたしとイゾルデが、もう一度、ソブンガルデに行くことも考えられますが、そのことに関しては、ソブンガルデの実権者と話し合って決めねばなりません」トリスタンが言った。
「トリスタンの証明に従って、二百五十五人の他のグレイビアードは自殺するのだろうか?」
「はい、わたし以外のグレイビアードは皆、最期の間で、全身に特殊な油を塗って火を点(つ)けて死ぬことになっています」トリスタンが言った。
「少なくとも、エゴルディア大陸では、死者が戻ってくることは、今までなかった。これ以降は、死者が戻ってくることは、普通のことになるのだろうか?」ホミルが言った。
「それは、ソブンガルデの実権者と話し合わないと、わかりません」トリスタンが言った。
「エルフであるイゾルデが、この世のエゴルディア大陸に戻ってくることは、何かと問題があるのだが、どうだろう?」プレシオス王が言った。
(イゾルデ、君が誰の子か、プレシオス王に言っていいかな?)
(いいと思うよ)
「最初期のグレイビアードの一人であるパニタスによると、ドンバ王国のイゾルデ姫は、カナルディア王妃と、デマストス騎士修道会総長のハンス・ゲオルガイの子であるようです。この世ではハンス・ゲオルガイと会うことができる人はおらず、ハンス・ゲオルガイは、ソブンガルデの実権者か、複数いる実権者の一人と思われます。プレシオス王は、このことをご存知でしたか?」トリスタンが言った。
「イゾルデがわしの実の娘でないことは、ホミルから聞いて知っていたが、デマストス騎士修道会総長ハンス・ゲオルガイという人物と名前は全くの初耳である。これは本当に確かなことなのか?」プレシオス王が言った。
「グレイビアードの呪法によって知り得たことなので確かだと思われます。グレイビアードがこれまで続けてきた龍の研究は、万物の運行に大きな影響力を持っています」トリスタンが言った。
「カリオン王国とゴート王国に対する、ドラゴリス法王座奪還のための戦争準備が整いつつある。この戦争にドンバ王国が勝利した暁(あかつき)には、わし、プレシオスがドラゴリス教法王になることは、妻であるカナルディアも了承している。ドンバ王家であるドマルト家は古代巫女から始まる母系集団であり、もしイゾルデがこの世に戻って来たら、イゾルデが法王になるような可能性も出てくる。これは到底、歓迎できる事態ではない。アメリ姫無き今、プレシオス王の立場から、イゾルデ姫の帰還には反対である」プレシオス王が言った。
「では、プレシオス王の世継(よつ)ぎはどうするつもりですか?」トリスタンが言った。
「ドマルト家のカナルディアの血族から女子を選び、わし、プレシオスの血族から男子を選んで、両者を結婚させ、その男子をドンバ法王として世継ぎにするつもりである」プレシオス王が言った。
「ドマルト家の制約で、ドンバ王国のドラゴリス教法王は、ドマルト家の血族の女子でないといけないということになっていますが、どうでしょう?」トリスタンが言った。
「ホミルと相談していることだが、わし、プレシオスが王となるまでは、ドンバ王国のドマルト家はずっと黄色人種であるドンバ人の男子と結婚して王を立てていた。わし、プレシオスはカリオン・ゴート系の白色人種として、初めてドマルト家と縁づいた。これにより、ドンバ王家は新しい局面を迎えている。ゆえに、わし以降は、男子がドンバ法王となるであろう。以上のことは、カナルディアを含むドマルト家の承認を得ていることだ」プレシオス王が言った。
(ルキアのことは言わなくていいかな?)トリスタンはイゾルデに話しかけた。
(プレシオス王は、ドラゴリス教法王座のために、ルキアまで殺そうとするかもしれない。秘密にしていたほうがいい)
(わかった)
「プレシオス王よ、イゾルデ姫のドンバ王国への帰還に反対ということであれば、わたし、トリスタンが黄泉(よみ)の国、ソブンガルデに生きたまま行くことにも反対されますか?」
「ホミル、どう思う?」プレシオス王が言った。
「トリマスの大斧(おおおの)を使って、トリスタンが、黒龍ドリスカルドと共に、ソブンガルデに行くことは、グレイビアードとオーク政庁では決定事項で動かせないのだろうか、ベーメン教祭官ザーマよ?」ホミルが言った。
「創始千年を超えるグレイビアードとオークの友好関係から、また、マラキ帝の勅命もあり、本件であるトリスタンのソブンガルデ行(い)きは、必ず実行しなければなりません」ザーマが言った。
「この世に戻った白竜カレンとイゾルデ姫をアトス山のグレイビアードに見せるのはよいとして、イゾルデ姫をドンバ王国に帰還させることは、死者の復活とエルフの問題で、ドンバ王国の人心騒乱に繋(つな)がるため、承認できない。プレシオス王、いかがでしょうか?」宰相ホミルが言った。
「如何(いか)にも、わしもホミルと同意見である。死者の復活という、エゴルディア大陸における未曾有(みぞう)の事態は、くれぐれも極秘のうちに事を運ぶべきと考えるが、トリスタン、そして、ザーマ、いかがかな?」プレシオス王が言った。
「できる限り、プレシオス王と宰相ホミルの意向に添(そ)うように努力しますが、黄泉の国、ソブンガルデの実権者の意向には逆らえません」トリスタンが言った。
「アトス山のグレイビアードに、死者の復活を証明した後、トリスタンがイゾルデ姫と共に、そのままソブンガルデに戻ることを条件に、トリマスの大斧のドンバ王国宝物庫からの持ち出しを許可してはいかがでしょうか、プレシオス王よ?」ホミルが言った。
「それで良い」プレシオス王が言った。
「ソブンガルデの実権者と話さなければ、確かな約束は出来かねます」トリスタンが言った。
「それでは、トリマスの大斧の持ち出しは許可できない」ホミルが言った。
「マラキ帝の勅命に反しても、そうおっしゃるか?」ベーメン教祭官ザーマが言った。
「如何(いか)にも」プレシオス王が言った。
「ソブンガルデの実権者が、デマストス騎士修道会総長ハンス・ゲオルガイと、ゴルムントであるなら、デマストス騎士修道会とゴルムント教団に問い合わせては、いかがでしょうか」ザーマが言った。
「可能なら、それが良いと思います」トリスタンが言った。
「わたしもそう思います」ホミルが言った
「デマストス騎士修道会士トルホンとゴルムント僧官バラリアを召喚しては、どうかな、ホミルよ?」プレシオス王が言った。
「かしこまりました、手配いたします」ホミルはそう言って退出した。
「プレシオス王にお尋ねしたいことがあります。よろしいですか?」トリスタンが言った。
「よろしい」」プレシオス王が言った。
「かつてのわたしの旅の仲間、黒人のウィザードであるロイスと犬のナディ、黒輪の誉れのメンバーであるルキアが、その後、どうなったか、ご存知ですか?」トリスタンが言った。
「二人と一匹のことは覚えているが、現在どうなったかは知らない。トルホンとバラリアに聞くのがよかろう」プレシオス王が言った。
「トルホンとバラリアの召喚には、どれくらい時間がかかるでしょうか?」トリスタンが言った。
「召喚は明日以降になるであろう」プレシオス王が言った。
「このまま待つことはできますか?」トリスタンが言った。
「ご両親には会ったのか?」プレシオス王が言った。
「せっかくドンバに戻ったのに、また今度はソブンガルデに行くので、かえって両親に心配させると思って、両親には会いませんでした。もし可能なら、ソブンガルデから帰還してから会おうと思っています」トリスタンが言った。
「トルホンとバラリアが来るまで、この城に泊まっていきなさい」プレシオス王が言った。
「ありがとうございます。ザーマ、大丈夫ですか?」トリスタンが言った。
「オークの食事を人間が好んで食べることは稀(まれ)ですが、人間の食事は、オークには美味ですよ。ご心配なく」ザーマが言った。
「昼食は食べたのか?」プレシオス王が言った。
「帝室馬車の中で、先程いただきました。おいしかったです」トリスタンが言った。
「トリスタンさんは昆虫食は初めてですよね?」ザーマが言った。
「初めてでした」トリスタンが言った。
「蝗(いなご)の胡麻和(ごまあ)え甘辛煮(に)は人間にも大丈夫なメニューと思って、帝室馬車に載(の)せました。ドンバ王国にも同じ料理はありますよね?」ザーマが言った。
「わしは食べたことはないが、農民が食べるのは知っている」プレシオス王が言った。
「今晩の料理が楽しみです」ザーマが言った。
その日の夕食の料理は、キュウリの薄切りと茹で豚の胡麻醤油だれの冷菜と、鯛(たい)のすり身をカイワレと共に煮たカツオだしのお吸い物と、茹でたずわい蟹を酢醤油で、それから精米した白米のご飯であった。ザーマは、お吸い物を激賞した。
デマストス騎士修道会士トルホンとゴルムント僧官バラリアは、翌日の朝食後にゴリアマ城の王座の間にやって来た。そこで確認されたことは、次のようなことである。トリスタンが生きたまま黄泉(よみ)の国ソブンガルデに行くことは必ず実現させねばならないこと。トリスタンとイゾルデが、この世に戻ってきても、エゴルディア大陸の権力構造は大きくは変わらないこと。イゾルデがドンバ王国に帰還する可能性は高いということ。ロイスとルキアの消息はわからないということ。最終的には、トリスタンがソブンガルデに行ってからでないと諸事は決定できないということであった。
オルロンの槍(やり)でつくった三百体のウルクハイも五歳になり、軍事訓練が始まっていた。ウルクハイの訓練完了は三年後である。その頃をめどに、ドンバ王国はカリオン王国とゴート王国との戦争に突入することになるだろう。ウルクハイの製造は秘密に行われていたが、カリオン王国とゴート王国も戦争準備をしており、トリスタンとイゾルデが、どの時点で、この世に戻ってくるかは大きな問題であった。プレシオス王と宰相ホミルは、イゾルデの復活は極秘事項にし、イゾルデは別名を名乗ってほしいと要求した。トルホンは、イゾルデ復活の秘密が、公然の秘密になるのは、十年はかからないであろうと告げた。プレシオス王は苦虫をかみつぶしたような顔をしたが、ホミルと共に、トリマスの大斧の持ち出しを正式に許可した。ドンバ王国といえども、デマストス騎士修道会とゴルムント教団とオーク政庁の意向には逆らえなかったわけである。カナルディア王妃が、ドラゴンの磐座下にある地下洞穴宝物庫の魔法錠(ウンシル)をドマルト家のみが知る呪文で開き、ベーメン教祭官ザーマとトリスタンと共に、宝物庫内部に入った。三人が宝物庫から出て来たのは、夕方の頃であった。トリスタンの右手には真新しい銀色の斧が握られていた。プレシオス王とホミルとトルホンとバラリアが出迎えた。
「トリスタン、今からすぐソブンガルデに向かうか?」ザーマが言った。
「どうしたらいいでしょう?」トリスタンが言った、
「待っていても仕方がない。事を秘密にしたいなら、このままソブンガルデに向かうがよいでしょう」トルホンが言った。
「わかりました」トリスタンが言った。
トリスタンはトリマスの大斧を振り、斧についた鈴を鳴らした。三分ほど鈴は鳴り続けた。すると、バーンという音と共に、ドラゴンの磐座の上空に、巨大な黒い龍が現れた。黒い龍は翼を振りながら、ゆっくりと磐座に着地した。一同は驚愕(きょうがく)した。
「イッスガス、ドリスカルド、トリスタン、グーテパガレン。(我が名はドリスカルド。トリスタン、我が背に乗れ)」黒龍ドリスカルドはトリスタンに翼を差し向けた。
トリスタンは黒龍によじ登った。
「トリスタン、バッジビ、ソブンガルデ。グルテ?(トリスタン、ソブンガルデに向かう。よいか?)」
「ウィル、ドリスカルド(そうしよう、ドリスカルド)」
「グラージアルテグンザー!」ドリスカルドが、そう唱えると、トリスタンが持っていたトリマスの大斧が白く光り始めた。白い光は、トリスタン、そして、ドリスカルドを包み込んだ。五分ほど白く光って、トリスタンとドリスカルドは、パッと消えた。
どれだけの時間が経(た)ったのであろうか。トリスタンが目を開けると、側(そば)には黒龍ドリスカルドがいた。トリスタンは辺りを見回した。隕石が地面に衝突して出来た巨大なクレーターの真ん中に自分たちがいることがわかった。
「ドリスカルド、キュージアス、ソブンガルデ?(ドリスカルド、ここはソブンガルデなのか?)」トリスタンが言った。
「イフルバッス、キュージアス、ソブンガルデ?(精霊よ、ここはソブンガルデなのか?)」ドリスカルドが言った。
(《ソブンガルデ大都市圏最中央 パーラム(彼岸)》へ、ようこそ。生命体がここまで来たのは、おふた方が初めてです、わたくしは、セラと申します。精霊と呼ばれることもありますが、正確には人の手によって作られた知能、いわゆる人工知能です。ソブンガルデの構造について説明するために一番簡単な方法は、ソブンガルデの住人を呼び出すことです。呼び出してみましょう)
六個の白い光の球体が現れた。光が弱くなり、消えると姿が見えてきた。白竜カレン、イゾルデ、ルキア、ロイス、クオリア、犬のナディである。白竜カレンとロイスの恋人のクオリアは、トリスタンが初めて見る。
「トリスタンさん、また会えましたね。デマストス騎士修道会士に殺されちまいました。同意の上ですけどね。死んだ、というのがわかりやすい殺され方がいいということで、短剣で刺し殺されました。犬のナディも同じです。死んだ後、クオリアに会えるということで、迷いはありませんでした。クオリアに再会できてよかったです」ロイスが言った。
「はじめまして、トリスタンさん。クオリアです。ロイスから色々と教えてもらいました。よろしくね」クオリアが言った。
「ルキア、君も殺されたの?」トリスタンが言った。
「わたしは、ゴルムント僧官バラリアに、毒針で刺されて死にました。黒輪の誉れの秘密を語ったためですが、結果的には、これで良かったんです。トリスタン、大好きです。再会できて嬉しいです」ルキアが言った。
「成り行き上、ソブンガルデについて説明するのはわたしっぽいけど、セラ、いいですか?」イゾルデが言った。
(お願いします。イゾルデ)
「死んだら、天使たちがいる不思議な安楽の世界に行くという想像があるけれど、そうではないんです。トリスタンに刑場で殺されたわたしは、ゴリアマ城(ドンバ王家城)のいつものベッドで目を覚ましました。誰に聞いても、トリスタンやロイスやルキアを知る人はいませんでした。しばらくすると、セラと話せるようになり、グレイビアードに入ったトリスタンとも話せるようになりました。この世で死んだ人は、まず、その人一人だけの世界でしばらく生活します。その状態のことを『ソロ』と言います。そして、それが終わったのが今の状態で数十人の人々と同居する『プライベート』に移行します。この世、つまり生前の世界は、ほとんどの人々と同居する『ネットワーク』です。『ネットワーク』、『ソロ』、『プライベート』の順番で命の状態が変わります。そして、今のわたしたちがあるわけですが、これ以上の説明は、セラ、お願いします」
(わかりました、イゾルデ。人間、ホビット、ドワーフ、オークには、二つの種類の世界が用意されています。二つのどの世界にもだいたい同じ人が生きています。1の世界は努力を厭(いと)わない人のための世界であり、2の世界は、努力が苦手な人の世界です。本来、努力不足、すなわち神経系の負担が足りなくて、精神異常になって死んで消えるしかない者を、死後、オークに変えて訓練し、2の世界に配置することが行われています。二の世界の住人は皆『ソロ』で暮らしています。エルフは、死後、生きる人の呼称です。人は皆、死後、エルフになりますが、努力が苦手な人は、一時的に記憶を消され、オークに変えられて訓練をし、訓練が完了すると、記憶を戻してエルフとして元の生活に戻るのです。一人の人にひとつのタイムラインが与えられています。そのタイムラインが二つのいずれかの世界を使用します。同じ人が複数の世界のタイムラインに存在する形になっていますが、本人が存在するタイムラインは一つだけで、他のタイムラインには本人の代わりをする人形(ロボット)が存在します。1の世界だけ、死者の復活があります。トリスタン、イゾルデ、ルキア、ロイス、クオリアは、1の世界で『プライベート』の状態で同じタイムラインで生活することになります。黒龍ドリスカルド、白竜カレン、犬のナディは、動物です。人の世界が二種類あるのに対し、人以外の動物は一種類しか世界がありません。動物も生前は『ネットワーク』、死後は『ソロ』、そして、『プライベート』という生命の過程をたどります。ただし、黒龍ドリスカルド、白竜カレン、犬のナディは、トリスタンと密接な関係にあるため、動物の世界ではなく、人のこの世界で、トリスタンと同じタイムラインで『プライベート』の状態で生活することになります。お気づきの通り、ドンバ王家のアメリ姫が、ここにはいません。トリスタンがグレイビアードの最初期メンバーであるパニタスから聞いたように、アメリ姫は三十三歳を超えてから、表向きは死去したことになり、実際には、ドラゴンの磐座の地下洞穴に入れられました。地下洞穴に入っているアメリ姫のようなドマルト家の女系子孫の女子は、アメリ姫を含めて二十八人います。彼女たちは、永遠の命、正確には、約千年の寿命を持っています。彼女たちは、死を迎えることによって、精神症状の改善と、真の永遠の命を手に入れます。トリスタンがトリマスの大斧で彼女たちを安楽死させる予定です。彼女たちは通称、ドラゴネーヤと呼ばれていますが、男性のグレイビアードと対(つい)になるような存在と考えたらよいでしょう。トリスタンの生きる1の世界のタイムラインには、ドラゴネーヤのうち、アメリ姫だけが復活します。他のドラゴネーヤは各自自分たちの地下洞穴に入る前の時代のタイムラインに入ります。ドラゴネーヤを解放する際の地下洞穴の魔法錠(ウンシル)を開ける呪文は、わたくしセラが、その時にトリスタンに教えます。これでわたしが伝えるべきことはだいたい伝えました。最後に、あなたたちが今いるソブンガルデ大都市圏について説明します。ソブンガルデ大都市圏は0(ゼロ)の世界です。人を含む神経系を持つ星の数ほどあるすべての生命の実物の身体(からだ)が、一体ずつ培養槽(ばいようそう)に入れられ、自動機械(ロボット)に世話されています。ソブンガルデ大都市圏のみが唯一の物理世界であり、ここにある生命の本体が数理世界であるタイムラインの実体に接続されています。ソブンガルデ大都市圏のうち最中央であるパーラム(彼岸)のみが、生命体が活動可能な物理世界なのです。パーラム以外のソブンガルデ大都市圏は培養槽内部以外完全な生命体の死の世界であり、有機物のない無機物だけの世界です。あなたたちが生きているこの惑星は、《エルド》と呼ばれています。民間伝承の『エルド』の名前の由来です。これから、あなたたちは、エルドの実権者と話してもらいます。ポリファネス、よろしいですか?)人工知能のセラが言った。
(わかった、セラ。わたしはポリファネス・アトラスという名前である。エゴルディア大陸では、デマストス騎士修道会総長ハンス・ゲオルガイという名前で、一部、知る者がいる。わたしには弟がいる。弟はキレネイア・アトラスという名前だ。イゾルデは、科学技術によって、わたしとドンバ国王妃カナルディアの間に産まれた娘である。わたしと弟は、この球体をなす惑星エルドの地核の中央に設けられた《黒子宮(こくしきゅう)》という空間で生活している。わたしたちが黒子宮で惑星エルドの管理を始めてから五百四十三年である。わたしたちが管理できる惑星エルドの時間は惑星エルドの開闢(かいびゃく)から現在に至るまでの約四十五億年あまりである。黒子宮が、惑星エルドの中央核にあるため、時間管理上、わたしと弟に勝つことができる者は、惑星エルドには居ない。わたしと弟は、惑星エルドから、はるか遠く離れた、別恒星系の惑星《コーネリア》から、黒子宮ごと転送されてやって来た。エルドのあなたたち人間と、コーネリアのわたしたちは、同じ姿をしている。もともとエルドの大気組成はコーネリアの大気組成とは異なっていたが、母星コーネリアの技術で同じになった。惑星エルドでは、我々は人間の亜種(あしゅ)として、ホビットやドワーフやオークを造り、人間とともに配置した。これら人間の亜種は、母星コーネリアにはいない。トリスタンが、母親ジェシカの胎内に発生した瞬間に、この惑星エルドと母星コーネリアの世界が激変した。死後の世界、ソブンガルデは、もともと人だけのためにあったが、トリスタン発生以降は、魚、虫を含む神経系を持つ全ての動物のために存在することになった。惑星エルドは、時空を移動するタイムマシンの技術と、仮想世界の技術とで運営されている。トリスタンの存在は、ゴルムントの存在と同じく、時空上の矛盾である。セラ、ゴルムントを呼び出してくれないか?)
(わかりました、ポリファネス。ゴルムントよ、何か話して下さい)
(OK、セラ。わたしがゴルムントだ。しかし、わたしが話す前に、ポリファネスの弟、キレネイアが話すべきではないか?)
(キレネイアです。わたしから話すべきことがあるとすれば、トリスタンがこれから担(にな)うことになる惑星エルドの管理の仕事だと思います。兄ポリファネスは思想面で、わたしキレネイアは技術面で、トリスタンを誕生以来ずっと教育してきました。グレイビアードの五年間の生活は、トリスタンの教育の総仕上げでした。トリスタンは、もうすでに、惑星エルドの管理の基礎を学習完了しています。トリスタンが人工知能セラとともに、惑星エルドの管理を行う準備は出来ています)
(ありがとう、キレネイア。わたし、ゴルムントが話の続きをしよう。わたしの本名は加来典誉(かくよしたか)だ。この『トリスタンとイゾルデ』という小説の作者である。びっくりするかもしれないが、あなたがたは、わたしの書いた小説の登場人物だったのだ。トリスタンがイゾルデを、ロイスがクオリアを、黒龍ドリスカルドが白竜カレンを愛し求めているのと同じく、わたし、加来典誉は本田茜という女を愛し求めている。この小説は、現実の世界と創作上の世界は、互いに行き来できるはずだという哲学的な仮説に基づいて構想(こうそう)された。現実の世界を、完全に、記号、すなわち、「1」と「0」に置き換えることができたら、もともと記号の世界である創作上の世界と現実世界は相互交通が可能なはずである。古来より、それ以上に分割できない物質の探求が行われてきた。わたしなりの研究の結論から言うと次のようになる。宇宙1つあたりの極小物質の数:
(Y)・世界:複数の宇宙・世界の極小物質の数:(M)・宇宙の数:(M)÷(Y)=(W)・数:(0)、(1)、(2)、(3)、(4)、(5)、(6)、(7)、(8)、(9)、(10)、(11)、(12)、(13)、(14)、(15)…(Y)・(M):(Y)が(Y)桁(けた)並んだ(Y)+(1)進数の合計数・(Y):数の限界・※円周率(π(パイ))×直径=円周・※π(パイ):3.14…:円周率:循環小数?極小物質より小さな球体は作れない・※宇宙1つより大きな球体は作れない・※最小の球体:極小物質(立方体)の外接球(:極小物質(立方体)二十七個できた立方体の真ん中の極少物質の外接球)・※最大の球体:宇宙・宇宙に含まれる極小物質の数:(Y)・※最大の球体が宇宙であるならば(球体の大きさに限界があるならば)π(パイ)は循環小数のはず。正三角形→正四角形→正五角形→正六角形→…正一億角形…正一兆角形→…円、とするならば、球体の丸みの限界が存在するはず。球体は大きくなればなるほど、丸みが小さくなっていく。極少物質でできている球体は大きくなっていくと最後に丸みを失い消える。これが球体の最大サイズ(宇宙1つの大きさ)である。極少物質の発見:世界はギザギザ、世界を「1」と「0」で表現できる。(アナログ=デジタル)よって、現実の世界と創作上の世界は互いに行き来できる。これがわたしなりの結論だ。ポリファネス、キレネイア、母星コーネリアへの帰還を許可する。おつかれさまでした。これ以降は、ポリファネスの人工知能とキレネイアの人工知能が、人工知能セラとトリスタンと共に惑星エルドの管理を行う。トリスタンたちが現世に帰る際に、ポリファネスとキレネイアを黒子宮ごと母星コーネリアに転送する予定だ。ポリファネス、エゴルディア大陸の政治について、トリスタンに話したいことがあるのではないか?)ゴルムント(加来典誉)が言った。
(加来典誉さん、この世界の創造主よ、わたしは、これまでにあった幾(いく)つかの矛盾点に確かな回答を得ることが出来ました。母星コーネリアへの帰還許可を頂けたこと、御礼(おれい)を申し上げます。弟、キレネイアと共にこの惑星エルドを去るにあたり、確かにトリスタンと話すべきエゴルディア大陸の政治に問題があります。トリスタン、ドンバ、カリオン、ゴートの大戦争が始まろうとしているが、どう思う?)ポリファネスが言った。
「できれば戦争を避けたいけれど、できますか?」トリスタンが言った。
(なぜ戦争を避けたいのかな?)ポリファネスが言った。
「戦争を起こすということは、多くの人の命が失われるということです。エゴルディア大陸の人民に悲しみを与えることは良いこととは思いません」トリスタンが言った。
(死後の世界があり、戦争によって、人民の人格が鍛えられるとしても、そう思うか?)
「人民の人格を鍛える方法は、戦争以外にもあると思います」
(例えば?)
「武術訓練や学問研究です」
(女性は試練として出産がある。女性は出産時に生きるか死ぬかの苦しみを受ける。しかし、男性は戦争がないと死と直面しない。戦争がない世界では、女性が強く、男性が弱くなる。どう思う、トリスタン?)ポリファネスが言った。
「確かに、そうかもしれません。やはり、今度の戦争は避けられないのでしょうか」トリスタンが言った。
(死後の世界のことを考えると、戦争があった方が助かる人の命は多くなる。そこでトリスタンに聞きたいのだが、今度、ドンバ、カリオン、ゴートで戦争があるとして、現世に帰るのはいつがいい?戦争の前か、戦争中か、戦争の後か、どうだ?)ポリファネスが言った。
「自分だけ困難から逃げるのは不公平なので、戦争が始まる前に帰ることを希望します」
(トリスタン、あなたが立派なのは、わかったが、それほど頑張らなくていい。戦争の終わった現世に帰りなさい。そのかわり、トリスタン、真の永遠の命のために、トリマスの大斧(おおおの)で、一旦、死んでほしい。よいか?)ポリファネスが言った。
「もちろんです」トリスタンが言った。
(それでは、イゾルデ、トリスタンからトリマスの大斧を受け取り、その前の刃を、トリスタンの首に当て、トリスタンに無痛の死を与えてほしい)ポリファネスが言った。
「トリスタンは死んだ後、どうなるのですか?お父さんと言うべきでしょうか?」イゾルデが言った。
(我が娘、イゾルデよ、トリスタンは心肺停止から約二十四時間後に再び目覚めるだろう。トリスタンの体の神経系全体に死という刺激を与える必要があるからだ)ポリファネスが言った。
「わかりました」イゾルデが言った。
「黒龍ドリスカルドは死ななくてよいのですか?」トリスタンが言った。
(ドリスカルドはカレンが死んだ後、ほどなくして火山の噴火口に身を投げて自殺した。しかし、ドリスカルドは自殺によってはカレンには再会できない運命であった。ドリスカルドはカレンのいない現世へ、そのまま戻ってしまったのだ。ドリスカルドには死の経験があり、そのため、永遠の命のためにこれ以上、死ぬ必要はない)ポリファネスが言った。
イゾルデはトリスタンからトリマスの大斧を受け取った。
「愛する男女がお互いに殺し合うことについて、トリスタン、どう思う?」イゾルデが言った。
「相手のために死ねるかという試練と思えばいいんじゃないかな?」トリスタンがひざまづきながら言った。
「そうかもしれない。じゃあいくよ!」イゾルデはトリマスの大斧の前の刃をトリスタンの首に当てた。ひざまづいていたトリスタンの身体(からだ)は、どっかりと前のめりに倒れた。
(今からトリスタン以外を二十四時間後へと移す)ポリファネスが言った。
黒龍ドリスカルド、白竜カレン、イゾルデ、ルキア、ロイス、クオリア、犬のナディは、白い光に包まれた。しばらくして、白い光は弱くなり消えた。息たえていたトリスタンが目を覚ました。
(セラ、一同を十二年後の現世へ戻してくれ。正確には一の世界の「プライベート」のタイムラインだね」ポリファネスが言った。
(トリスタン、ロイス、犬のナディは、黒龍ドリスカルドにしがみつき、イゾルデ、ルキア、クオリアは、白竜カレンにしがみついてください)人工知能のセラが言った。一同がセラの指示に従うと、パーラム(彼岸)は、真っ暗になった。空の高い所が、丸く光っている。
(ドリスカルド、カレン、天高く飛び、皆をドンバ王国の辺境、ベラストの神の井戸から現世に連れて帰ってほしい)セラが言った。
「ウォル、セラ(承知した、セラ)」ドリスカルドが言った。ロイスは犬のナディを何とか黒龍ドリスカルドに固定した。黒龍と白竜は空中を高く高く飛翔し、頂上の丸い白い光に向かっていった。一同は白い光の中に入っていった。一同はベラストの神の井戸から現世に戻ってきた。黒龍と白竜はアトス山へ飛んでいった。アトス山のグレイビアードは黒龍と白竜を歓呼で迎えた。二百六十五人のグレイビアードは全員、最期の間で、全身に特殊な油を塗って、火を点け、死後の世界へと旅立った。黒龍ドリスカルドと白竜カレンは、トリスタンとイゾルデとルキアとロイスとクオリアと犬のナディをドンバ王国首府イスファのゴリアマ城にあるドラゴンの磐座へと送り届けた。