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第九章 グレイビアード

ゴリアマ城の刑場から、どうやってゴランザ邸に戻ったのか、トリスタンは、ほとんど憶(おぼ)えていなかかった。ロイスに始終、支えられていたことは確かだった。帰ってから三日間は、トリスタンは、スープ類と飲み物の他は受けつけなかった。グレオス、ジェシカ、マリア、ロイスは、極力、外出を控(ひか)えていたが、イゾルデの死の知らせは、ドンバ王国首府イスファでは、次第(しだい)に有名になってきていた。ドンバ王国政庁としての正式な声明は、まだであったが、イゾルデがエルフであったことは、盛(さか)んに宣伝されていたようであった。グレオスとジェシカは、トリスタンに負の評判が立たないように、ドンバ王室に請願しようと相談していた。しかし、誰よりもトリスタンのことを深く理解し、心配していたのは、ロイスではなかっただろうか。自身が最愛の人、クオリアと死別していたロイスは、トリスタンの無念さ、悔(くや)しさが、充分すぎるほど理解されていた。ようやく起き上がって部屋の中を歩き回れるようになったトリスタンに、ロイスは話しかけた。
「昔から恋愛結婚は難しいと相場が決まっていますが、トリスタンさんの場合は、さらに一段と状況が厳しいですね。トリスタンさん、イゾルデのことは、どのくらい好きでしたか?」
「見た目も性格も理想通り、と言った感じだろうか。少し大袈裟(おおげさ)かもしれないけれど、イゾルデが運命の人だったかもしれないと言えると思う」
「そこまで真剣に考えられているなら、言わなければならないことがあります。わたし自身の問題でもあったのですが、わたし、ロイスは、最愛の人であるクオリアを失った身です。トリスタンさん、《グレイビアード》という言葉を聞いたことはありますか?」
「グレイビアード?よく知らない」
「多分、書物などには記されていないのだからでしょうね。トリスタンさんは読書家だから。オークの居住地方にあるアトス山という山に住んでいる隠者集団がグレイビアードです。一説によると、グレイビアードは、龍語を研究しているそうです。グレイビアードは、人間、ホビット、ドワーフ、オークの区別なく誰でもなることができます。誰でもと言っても、入団には条件があります。条件とは、結婚を考えた相思相愛の恋人と死別している男性です。トリスタンさんは、その条件に当てはまります。グレイビアードは、死に別れた恋人と霊界を介して交信し、会話することができます。グレイビアードには寿命がなく、千年以上、生きている者もいるそうです。グレイビアードが何を目的にした団体なのかは定かではありませんが、恋愛結婚を考えた女と死別した男が、心のよすがを求めて入団する隠者集団であることは確かです。トリスタンさん、グレイビアードに興味を持ちましたか?」
「僕は、自分が、恋愛や結婚ができないようになっているのにもかかわらず、恋愛や結婚を最も望んでいるという、二律背反の宿命になっているんだと、ようやく理解し始めたんだ。だから、死んだ恋人と話ができるというグレイビアードの生き方にはとても興味があるよ」
「わたし、ロイスも最愛の人、クオリアと死別しました。その際、友人からグレイビアードの話を聞きました。クオリアと話ができる、ということには魅力を感じましたが、一度、入団すると、退団は許されないということで、一生、隠者、そして、永遠の命ということには耐えられませんでした。わたしは死後の世界を信じているので、自分が死んだ後、クオリアと一緒になれるのではないかと思っており、現世での永遠の命には、あまり重きを置いていません。トリスタンさんは、それでもグレイビアードになりたいですか?」
「僕は、死後の世界でも、恋愛や結婚ができなくなっているのではないかと疑っている。かといって好きでもない人と恋愛や結婚をすることはできないんだ。グレイビアードになるための方法を教えてくれないかな?」
「わたしも実は詳(くわ)しくは知らないんです。オークの居住地方に行って、調べてみましょう。『テラウス』で胸に出せる『△』のオークの通行証があれば、安全にオーク地方に行けるはずです。ゴルムント僧官バラリアからもらいましたよね。今、『テラウス』って言ってみましょうか」
トリスタンとロイスは、「テラウス」と唱えた。トリスタンとロイスの胸には「△」の印が浮き出てきた。二人は、胸の印に手を当て、もう一度「テラウス」と唱えて、「△」の印を胸から消した。
「この『テラウス』で出せる通行証のことは、わたしは知らなかったんです。オークは、地下都市を作って住んでいるんですが、この通行証があれば、地下都市へも入れるかもしれません。普通は、オーク地方では、地上施設しかオーク以外の人は行けないのです。トリスタンさん、お父さんとお母さんを説得して、もう一度、わたしと一緒に旅に出ますか?グレイビアードになると、アトス山から二度と出れませんし、わたしとも会えなくなりますが、いいですか?」
「父と母に孝行したい気持ちはあるけれど、好きな女の人への渇望には、もう耐えられない。何とか、父と母を説得してみるよ」
「わかりました。トリスタンさん、自分の宿命を乗り越えられるといいですね。わたしもクオリアを失った身ですし、トリスタンさんの人生の問題が解ける日を、心から願いますよ」

トリスタンとロイスは、事情をグレオスとジェシカに説明した。グレオスはトリスタンに同情的であったが、ジェシカは目に涙を浮かべて反対した。トリスタンは、どんなに努力しても好きな人と恋愛できない自身の宿命をジェシカに説得し、理解を求めた。恋愛や結婚だけが人生ではないとジェシカはトリスタンに訴えたが、トリスタンの真の絶望には心を動かされたようだった。ジェシカは、祈りを捧(ささ)げる時間が欲しいと言って、自室に退出した。数十分経ってから、ジェシカはトリスタンの所に戻ってきて、寂しく微笑(ほほえ)んだ。
「トリスタン、あなたの信じる道を行きなさい。良い母でなくて、ごめんなさいね」とジェシカ。
「お母さん、僕の方こそ親不孝で、ごめんなさい。いつの日か、再会する日が来ると信じています。そして、お父さん、今まで世話になりました。ロイスと出会わせてくれたこと、心から感謝します。ありがとうございました」

グレオスは、ロイスにドラクメ金貨百枚を渡すと言い張ったが、ロイスは丁重に断った。代わりにトリスタンがドラクメ金貨五十枚をグレオスから受け取った。トリスタンは、かえってつらくなるので、送別の会などはしないで欲しいとジェシカに言った。その日から五日間は、トリスタンは、両親と生前に会うことは難しくなると考え、自分自身の持ち物の整理に徹した。トリスタンは整理整頓が得意であったので、ゴミ類は最小限であった。家族との思い出の品で、旅に持っていく物の選定に時間がかかった。グレイビアードが、どういう団体なのか、はっきりしなかったが、旅用の荷物入れには、沢山の物を入れることはしなかった。ジェシカのくれたウリドラ聖書とグレオスのくれた短剣ロッドは持っていくことにした。学校でもらった卒業を示すバッジも持っていく。ジョーやロンといった友達がくれた手紙も何枚か選んでみた。物品の整理をしていると、いくつもの思い出が思い起こされた。つらい思い出より、嬉しい思い出の方が多かった。しかし、なぜ恋愛だけがうまく行かないのか、それがトリスタンには最大の謎だった。トリスタンの家族はゴランザと名乗る前はサイコスであった。サイコス、いやゴランザ一家は、仲が良かった。ルキアと比べても、ゴランザ家は格別に温(あたた)かった。それゆえに、両親と別れるというトリスタンの決断は、苦渋の選択であった。

トリスタンの友人や知人は主にカリオン王国に残してきたので、別れを告げるのは、グレオスとジェシカとマリアだけであった。もうすぐ夏になるのではないかという春の日の昼、トリスタンとロイスと犬のナディは、オーク地帯に向けて旅立った。
「オルロンの槍探しをした時もそうでしたが、特に前準備なしに旅立つのがわたしたちのスタイルになりましたね。どう思います?」とロイス。
「グレイビアードの情報がほとんどない今、むしろ自然な旅立ちじゃないかな」とトリスタン。
「グレイビアードって、死後の世界の彼女と交信して性感マッサージをするらしいですよ。性欲の処理には困らないみたいです、グレイビアードは。少しは安心しましたか?」
「見えない彼女と交信するのは、どんな気分なんだろうね。死んだイゾルデと話が出来るだけで僕は嬉しいよ。心の安らぎが欲しい」
「イゾルデのどんな所を好きになったんですか?」
「顔の感じもそうなんだけど、ちょっと意地悪で気の強そうな所がドンピシャなんだよ。体つきもガッチリしていて、圧倒されそうな所がエロいんだよ」
「ルキアにはそいう感じはなかったんですか?」
「ルキアも美人で背か高くて好みだったけど、イゾルデの男勝(おとこまさ)りのキツい感じが僕の性的妄想と強く結びついているんだ」
「性的な願望ですかね?トリスタンさんの」
「そうだね、強くて美しい女性にコテンパンにやられるという願望があるね、僕には」
「それって女性の願望でもあるんじゃないですか?」
「女性全員ではないけれど、女は自分の好きな時に性行為をしてくれる男が好きですよ。普通、SEXって男の都合じゃないですか?女が求めている時に男と性行為をするスタイルが、トリスタンさんの願望では?」
「女が性的に興奮しているのが好きだってことだったら当たってるね。なんか笑えるでしょ。あと、女が男のペニスをくわえて、眼球が上転している様子が好きだよ。これも笑えるね」
「なるほど、これだけ女性から好かれる要素がありながら、恋人が出来ないのは、ますます不思議ですね。考えられるのは、何らかの呪いがあるのでは?と思います」
「呪いについては考えたことがあるよ。ひょっとして、父グレオスと母ジェシカによるものではないかと…」
「やっぱり…。わたしもそう思ったんですが、あえて黙ってました」
「もし、それが当たっていても、僕は両親を恨(うら)もうとは思わない。両親に愛されて育ったし、その代償かもしれないと思うんだ。何もかもが備(そな)わっているというわけには行かないと思うよ。僕は両親に感謝している」
「トリスタンさんのご両親が、トリスタンさんの恋愛に呪いをかけているとしたら、トリスタンさんは何もしないのですか?」
「はっきりしたことは、分からないけれど、両親が呪いをかかていることを突き止められたら、真相を確認して、両親と話し合いたいと思っていた。でも、グレイビアードに入ってアトス山にこもることになったら、それも無理だね」
「グレイビアードに入る前に真相を明らかにしたいですね」

トリスタンとロイスと犬のナディは、オーク地帯への駅馬車があるドンバ王国のグリスタという街に向かう。ドンバ首府イスファからグリスタへは、徒歩で五日かかった。三日、野宿し、二日、宿屋に泊まった。グリスタはオーク地帯と交流があるため、人間に混じってオークも居住していた。オークは、日光が苦手なため、日中は、建物の中にいるのが普通である。トリスタンとロイスは、夜にグリスタに着いたので、オークの姿を街で見かけることが多かった。
「トリスタンさん、オークの友達って作ろうと思ったことがないですか?」
「ホビットとは友達になれたけど、オークとは、どうかな?」
「まず、ホビットと友達になれたというのがトリスタンさんのすごい所ですね。オークの友達もできるんじゃないですか?」
「アトス山って、だいたいどこにあるんだっけ?」
「オーク地帯の首府であるゲヘナの近くです」
「グリスタから直接、ゲヘナに行けるのかな?」
「駅馬車の乗り場まで行って、確かめてみましょう。まだ、やってるかな?」

トリスタンとロイスは道行く人に尋ねながら、オーク地帯への駅馬車の乗り場まで、たどり着いた。駅馬車は、その日の出発は終了していた。駅馬車の駅員に聞くと、グリスタからゲヘナへの直行便は、日に一回だけ、出ているということが、わかった。出発時間は正午ごろらしい。トリスタンとロイスと犬のナディは、宿屋に泊まった。グリスタからゲヘナまで、駅馬車で三日かかるらしく、宿屋で、必要な食糧と水を買い込んだ。翌日の正午頃、一行はゲヘナ行きの駅馬車に乗り込んだ。オーク地帯への通行証は必要ないのかと、ロイスが駅馬車の馭者(ぎょしゃ)に聞くと、特に要(い)らないという。「テラウス」で胸に出せる「△」のオークの通行証について、トリスタンが馭者(ぎょしゃ)に話そうとすると、ロイスが制止した。「△」の通行証は表立っての物ではなさそうだった。ロイスは、御者に、ゲヘナの地下都市について聞いてみた。すると、馭者は、自分は、ゲヘナの地下都市のことは知ってるだけで、入ったことはないと答え、またゴルムント教徒なら地下都市に入れると続けて答えた。トリスタンがゲヘナ以外にもオークの地下都市はあるのかと聞くと、馭者は、オークは日光が苦手なため、通常、地下に居住空間を造るので、その規模の大きなものを、「地下都市」と、ひとまず、呼んでいるだけだと答えた。駅馬車には、トリスタンとロイスと犬のナディの他、人間の男が三人と、オークの女が二人いた。駅馬車は、クラスト川沿いに南下して行き、途中、馬を休ませつつ、予定通り、三日後にゲヘナに到着した。到着は夕方であった。ロイスはオークの二人の女に、到着したら話したいことがあると事前に言っていた。ロイスは馭者や人間の客から離れた所に二人を招いた。そして、ロイスはトリスタンと一緒に、「テラウス」と唱え、「△」の印が胸に出るのをオークの二人の女に見せた。オークの女二人は驚いた様子であった。オークの女二人は、ロイスとトリスタンに、ゴルムント教徒なのか、と尋ねた。トリスタンはロイスに返答をゆだねた。ロイスは、自分達はゴルムント教徒ではないが、オルロンの槍探しの勝利者であり、その過程で、ゴルムント僧官バラリアから、このオークの通行証をもらったと説明した。二人の女のオークによると、この通行証を持つことができる人間は、オークにとって重要な者に限られるということだった。何のためにゲヘナに来たのかというオークの問いに、ロイスは、トリスタンが、アトス山のグレイビアードの生活に関心があり、入団を検討していることを話した。オルロンの槍探しの勝利者は、イゾルデ姫を手に入れたはずだがとのオークの問いに、トリスタンは、ドンバ王国宰相ホミルの策謀により、トリスタン自身の手で、イゾルデ姫を死に追いやった、と話した。二人のオークは、仰天した様子であった。トリスタンがアトス山に登るのは自由であるが、オークの首府ゲヘナで、前準備をするのが賢明であるだろうとオークは答えた。ゲヘナのオークの地下都市に入ることはできるのか、というロイスの問いに、二人のオークは、もちろん、と答えた。地上のオークの建物は、大抵、地下につながっているので、建物の主に胸の「△」を見せて頼めば。地下に行くことができるだろう、ということだった。
「地下都市にあるオークの居酒屋に行って、アトス山の情報を集めてみましょうか?」ロイスがトリスタンに尋ねた。
「そうだね、どういう前準備をするかすらわかってないからね」とトリスタン。
トリスタンとロイスと犬のナディは、ゲヘナのオークの私宅ではなく、公的な建物を探した。ほどなくして、オークの食品市場の建物が見つかった。ニワトリやウシやブタの肉の他に、トカゲやカエルなどの肉も見られた。生魚や、干物の魚もあった。市場は地下へとつながっていた。食品市場に入る人間は珍しいということで、トリスタンとロイスとナディは、オークたちの好奇の目にさらされた。トリスタンとロイスと犬のナディは、胸の「△」の通行証を見せて、地下へと入っていった。やはり、この「△」の通行証がなければ、地下都市へは入れないようだった。居酒屋は、ほどなくして見つかった。トリスタンとロイスとナディは、居酒屋《グーテルダンの酒場》に入った。まだ客は多くはなかった。ロイスは、店の主人とおぼしき人物に話しかけた。
「アトス山のグレイビアードについて知っていることを教えてほしいのだが、どうだろう?」
「酒は飲まないのかい?」
「人間でも飲めるきつくない酒はあるかい?」
「キモネードはどうだろう。人間でも大丈夫だろう。一杯、アッス銅貨五枚だよ」
十アッス銅貨が一デノリ銀貨である。ロイスはキモネードを二つ頼んだ。ナディのために地下水も頼んだ。地下水はアッス銅貨一枚だった。
「グレイビアードについて知りたいのかい?」
この居酒屋の主人の名はキンナと言うらしかった。
「グレイビアードが、最愛の女性と死別した男性が入る隠者集団であることは知っているけれど、どうやってグレイビアードの仲間に入るのかわからないし、もっと詳(くわ)しくグレイビアードについて知りたいんだ」とロイス。
「あんたか、あんたのつれがグレイビアードに入りたいんだね」
「わたしの主人、トリスタンさんが、グレイビアードに興味をお持ちだ」
「まず、勘違いなすっとるのは、グレイビアードは、男が死別した女と話すための団体じゃないってことだね。グレイビアードは、龍の道の探究者集団だ。ドラゴンの言葉、生きざま、力について研究するのがグレイビアードの使命だ。トリスタンさんとやらは、ドラゴンに興味をお持ちかね?」
「わたしはドラゴリス教徒なので、ドラゴンに対する敬意は持っています。ドラゴンに関する書籍は十冊ほど読んでいますが、何ぶん、生きたドラゴンには会えないので、信仰の中で敬意を持つに留(とど)まります」
「なぜグレイビアードが、死別した最愛の女性と交信するのか知りたいかい?」
「ぜひお願いします」
「それは、黒龍ドリスカルドが、最愛の白龍カレンと死別していることが発端だからだ。黒龍ドリスカルドと志(こころざし)を同じくする男性が、共にドラゴンの生きざまを辿(たど)るのが、グレイビアードの本分というわけだ」
「ドラゴリス教と、グレイビアードは、どういう関係がありますか?」
「グレイビアードの住まうアトス山が、オーク地帯にあるためだろうが、ドラゴリス教とグレイビアードは直接、関係してはいない。たまにデマストス騎士修道会と交流はあるようだが、グレイビアードは、外界から孤立したがる性質がある。トリスタンさんは、最愛の女と死別したのかね?」
「ドンバ王国のイゾルデ姫と死別しました。イゾルデ姫はエルフだったと言われています」
「ということは、トリスタンさん、あなたはオルロンの槍探しの勝利者なのかい?」
「そうです」
「イゾルデ姫は、どのように亡くなったのですか?」
「ドンバ王国宰相ホミルに導かれ、それと知らずに、わたしがイゾルデ姫を殺(あや)めました」
「本当ですか?」
「本当です」
「イゾルデ姫と死別、これはグレイビアードになるには大事な要素ですよ。わたし自身も驚いている所だけど。事が事ですね」
「わたしはグレイビアードに入団すべきでしょうか?」
「それはご自由に、と言いたい所だけど、まず、第一、あなたはドラゴンに本当に興味を持っていますか?」
「今までは、信仰の中でしか、ドラゴンに興味を持ちませんでした。わたしは恋愛に強い興味を持ちながら、恋人を持ったことが、一度もないのです。この自分自身の宿命と折り合いをつけて生きていく中で、見えないながらも、イゾルデ姫と交信を通じて結ばれることは、わたしにとって大きな慰(なぐさ)めとなると思います。そのために、ドラゴンの研究を行うことが必要なら喜んで致しましょう。どうでしょうか?」
「ドラゴン事体には大きな関心をお持ちではないようだね。一度、グレイビアードに入団すると、出ることは許されないですよ」
「知っています」
「人生は恋愛だけではない、ということは、お分かりだろうが、グレイビアードに入団して、後悔することがないようにする必要がありますね」
「どうしたらいいでしょうか?」
「グレイビアードの生活を知るために『グレイビアードの栄光』という典籍を購入して、読むことをお勧めします。カリオンやドンバやゴートの言葉でも読めるはずです。ゲヘナの書店ではもっとも大きいのが《ボリブラ書店》ですが何分、胸に出る『△』の通行証がなければ、地下都市のボリブラ書店にいけないので、『グレイビアードの栄光』は、オーク地帯の外に持ち出されることが希(まれ)で、本自体にも、オーク地帯から外には、『グレイビアードの栄光』を持ち出すことは控えるように書いてあるため、この本はエゴルディア大陸では、一種、禁書のような扱いになっているんです」
「ボリブラ書店は、ここから近いですか?」
「今日、行くのかい?」
「できれば…」
「オークは夜行性なので、ボリブラ書店も、今頃、開店ですよ。いよいよ夜だからね。歩いても行けるが、オーク名物《鉱山トロッコ》で行くのもいいと思うよ。鉱山トロッコを知ってるかい?」
「知らないです」
「オーク地帯は、鉱山地帯でもある。特に、金、銀、銅がよく取れる。鉱山開発で使用したトロッコに、少し手を加えて普通の人が乗れるようにしてあります。代金を支払えば、トロッコに乗ることができ、目的地に着いたトロッコを、自力で元の場所に戻すと、労賃がもらえる仕組みにんなっているんです。代金はアッス銅貨三枚から八枚くらいが多いですね。まあ、気をつけて行ってください」
トリスタンとロイスとナディは、グーテルダンの酒場から出て、道行くオークに、ボリブラ書店への経路を尋ねた。しばらく歩いていると、ボリブラ書店への鉱山トロッコが見つかった。代金のアッス銅貨七枚を、鉱山トロッコの係り官に支払い、二人と一匹はトロッコに乗り込んだ。トロッコは最初はゆっくりだったが、だんだん速くなり、気持ちの良い向かい風を楽しめた。およそ二十分ほどで、トロッコは目的地に到着した。ボリブラ書店の入口は、吹き抜けのようになっており、外からでも、大量の本が収納されていることがわかった。本が好きなトリスタンは、胸踊る気持ちであった。さっそく一行は、ボリブラ書店の中へと入って行った。店内の書籍のほとんどが、オーク語で書かれていた。
『真偽見分法-商店経営上』ヒョン・マーチン・パス:デノリ銀貨三枚
『悪行為善行為指針』グード・スカラ・グナイ:デノリ銀貨四枚
『無意識的偽善在女』クリパ・マネマネ・クンナ:デノリ銀貨五枚
『電気式演算機試論』ポイマ・ファクト・ロマヌ:デノリ銀貨五枚
『前進的農園経営法』コンヌ・グリパ・アバ:デノリ銀貨五枚
『天球回転地球創始』ユンマ・スカラ・テナト:デノリ銀貨五枚
『万病気病』コイ・キモイ・トンガ:デノリ銀貨四枚
『鋼鉄戦車活用法』ユンナ・センチネル・トマ:デノリ銀貨七枚
『低罰高治法』ユンニ・パッス・マーダ:デノリ銀貨六枚
ざっとだが、まだまだあった。

オークの名前は、《家族名(氏)(うじ)》・《家門名(姓)(かばね)》・《個人名》から成っている。姓とは、仕事を意味する。姓は十三種類ある。
帝(キャス)・司(カツマーダ)・学(スカラ)・兵(センチネル)・工(ファクト)・商(マーチン)・農(グリパ)・芸(マネマネ)・刑(パッス)・病(キモイ)・奴(スラブ)・囚(トワレ)・魔(ガーマ)
以上が十三種類あるオークの家門名(姓)(仕事)である。病(キモイ)とは、自分自身の病気を研究する医学者である。
ボリブラ書店の店員に、ドンバ語とカリオン語・ゴート語の『グレイビアードの栄光』計二冊を頼んだ。(カリオン語とゴート語は同じである)しばらくして、店員が二冊の『グレイビアードの栄光』を持って来た。代金は共に各デノリ銀貨五枚であった。デノリ銀貨が十枚でドラクメ金貨一枚なので、トリスタンは店員に、ドラクメ金貨一枚を支払った。
久しぶりに書籍を買ったトリスタンは、とても興奮していた。トリスタンとロイスと犬のナディは、ゲヘナの地下都市で宿を探した。
《ゴッツの宿屋》という宿屋に泊まることにした。ベッドサイドで、早速、トリスタンは『グレイビアードの栄光』をカリオン語で読み始めた。ロイスはドンバ語で読み始めた。夕食を挟んで、ぶっ通し五時間あまりでトリスタンは本を読み終わった。『グレイビアードの栄光』には、グレイビアードの始祖コンラッドの生涯と、グレイビアードの発展の歴史、戒律などが記されていた。ロイスが読み終わるまで、後一時間かかった。
「死んだ連(つ)れと話が出来ること以外には何の魅力も感じられない団体というのが、わたしの見解ですね」とロイス。
「そんなこと言わなくていいじゃないか。龍語の研究と龍の呪言については、僕は興味があるよ。イゾルデと話ができて、静かに暮らせるのは、僕にとっては魅力的だね」
「トリスタンさんは、欲がないから。でも、龍語を研究して何になるんですか?」
「ドラゴリス教が隠しているドラゴンの秘密を探るには、龍語は必須だと思うよ。それにドラゴンの呪言は、通常の魔法にはないパワーが、ありそうだよ」
「トリスタンさんは学問が好きだから。グレイビアードの食事っておいしいのかな?」
「グレイビアードは自給自足が基本だけど、地元のオークや他の種族からの支援物資もあるみたいだね」
「トリスタンさんって、料理はできるんですか?」
「食べるには困らないくらいの簡単な料理ならできるよ。母、ジェシカが料理が上手だったから、自然と僕も料理ができるようになったよ。『グレイビアードの栄光』にあったけど、永遠の命の場合には、おいしすぎる料理は危険らしいね。おいしすぎない食事が何なのかわからないけど、食事が苦痛なら、生きていくのは辛いね。逆に食事がおいしければ、グレイビアードの生活も楽だと思うよ」
「話は変わりますが、エゴルディア大陸の貨幣鋳造って、ここゲヘナの地下都市でやっていると知っていましたか?」
「カリオンじゃないの?」
「『グレイビアードの栄光』の解説をドンバ人が書いている所によりますと、エゴルディア大陸の、ドラクメ金貨、デノリ銀貨、アッス銅貨は、鉱石が、オーク地帯に加えて、ドワーフのウンヘイ山岳地帯から採取されて、ここゲヘナに運ばれ、《ゴブリニッシュ貨幣鋳造局》で貨幣にされているそうです。貨幣にはカリオン語が記されているので、カリオンで造られていると思われがちですが」
一ドラクメ金貨=十デノリ銀貨、一デノリ銀貨=十アッス銅貨である。
「アトス山に行く前に、ゴブリニッシュ貨幣鋳造局を訪ねてみませんか?」
「意外なこともあるもんだね。ぜひ、行ってみよう。でも、中を見せてくれるかな?」
「とりあえず、行ってみようじゃないですか」
トリスタンとロイスとナディは、宿屋の主人に聞いて、ゴブリニッシュ貨幣鋳造局の住所を知ろうとしたが、宿屋の主人は、住所はおろか、ゴブリニッシュ貨幣鋳造局の名前すら知らなかった。信用が最も重視される貨幣がなぜオーク製なのか、思案にくれるが、トリスタンの推測では、金や銀や銅の含有率でごまかしが効かないように、そうしたことを最もしがちなオークが鋳造することで、逆にズルができなくなるのではないかということであった。ロイスも、その説に賛同した。
「じゃあ、寂しくなっちゃいますが、アトス山に向かいますか?」
「ロイスと別れるのはつらいけど、先延ばしするわけにはいかないから、そうしよう」
『グレイビアードの栄光』によると、グレイビアードになるために必要な奉納物は、黒の木綿のシャツ三枚と羊の毛のセーター三枚と黒いズボン三枚と牛の革でできた靴一足と白い手拭(てぬぐ)い五枚であった。トリスタンとロイスは、ゴッツの宿屋を起点に必要な物を集めた。三日ほどで物資は揃(そろ)った。トリスタンとロイスとナディはゲヘナの地下都市から地上に昇った。地上のゲヘナにいたオークに聞くと、アトス山へは、歩いて半日くらいだということだった。一行は、道の標識を頼りに、一路、アトス山へと向かった。季節は初夏であり、太陽の光が強かった。樹木の緑(みどり)も青々しかった。通りがかりの茶店で一服してから、一行はついにアトス山に到着した。アトス山への入口から歩いて登って中腹ほどの所に、グレイビアードの館の山門があった。時は夕方であった。トリスタンが、山門の大きな呼び鈴(りん)をならすと、山門の上部に人間のグレイビアードと思(おぼ)しき人が一人出てきた。トリスタンは『グレイビアードの栄光』に書いてあった通り、五体投地の礼というお動作を行なった。すなわち、山門に向かって手を合わせ、ひざをついて両手の手のひらを上にむけ、額と肘(ひじ)と手の甲を地面につけてから、手のひらを上にあげる。これを三回繰り返した。ほどなくして、山門は内側から開かれた。先ほどのグレイビアードと思(おぼ)しき人が、話しかけてきた。
「入門を希望されるのはおひとりか?」
「わたくしがトリスタンと申します。入門を希望します。こちらのロイスと犬のナディは旅の仲間です。入門に必要な物は取り揃えてあります」
「入門の動機は?」
「わたくしは、ドンバ王国の姫君イゾルデを殺(あや)めました。自分の意思ではなく、そうと知らされずに、ドンバ王家の宰相ホミルの指示で、罪人とされる女を処刑しました。その女が、イゾルデだったのです。イゾルデと言葉をかわしたのは数度しかありませんでしたが、わたしはイゾルデを心から好きになれる自信がありました。それから、わたし、トリスタンには、好きになった女性と恋愛関係になれないという宿命のようなものがあります。もしかすると呪いのようなものにかかっているのかもしれません。どんなに頑張っても恋愛が失敗するなら、せめて死んだイゾルデと話をして静かに暮らしたいというのが、入門の最大の動機です。龍語の研究は興味はありますが、入門の動機ではないことを、正直に告白します」
「ここに真面目(まじめ)にやってくる者の誰もが、同じような宿命を背負っています。わたしの名前はガントレと申します。わたしたちは、ドラゴンの導きで、恋愛が成就できなくなっていると考えています。黒龍ドリスカルドが、最愛の白竜カレンと死別しているので、その運命を共に分かち合っています。わたしたちグレイビアードが、通常よりも、はるかに長生き、ほとんど永遠の命なのは、黒龍ドリスカルドと白竜カレンを再会させる研究を行なっているからなのです。龍語の研究も、その一環(いっかん)です。山門で来客の対応をするグレイビアードが、来訪者の入門の許可を出すことができます。つまり、わたしがあなたの入門を許可するわけです。わたしたちグレイビアードはドラゴンの呪法で、話し相手の嘘を見抜ける力を持っています。トリスタン、あなたの話に偽(いつわ)りはありません。入門を許可します」
「トリスタンさん、よかったですね。ここでお別れになりますが、どうかお元気で」とロイスが言った。
「ありがとう、ロイス、そして、ナディ。ドンバに戻ったら、父グレオスと母ジェシカに無事にグレイビアードに僕が入れたと報告しておいてください」
「わかりました。最後にわたしと握手してください」
トリスタンとロイスは力強く握手した。
「トリスタン、こちらへどうぞ。山門を開けます。旅の仲間の方々、どうか、お気をつけてお帰りください」
トリスタンが、山門をくぐると、ガントレは山門を閉めた。ロイスが手を振っていた。
「トリスタン、ご出身はドンバですか?」
「わたしの出身はカリオンです。オルロンの槍探しを知っていますか?」
「名前までは聞いたことがありますが、詳しくは知りませんね」
「オルロンの槍を獲得したのがわたしだったんです。しかし、実際には、ウルクハイという戦闘動物を作るための人間の生き血を集めるために、オルロンの槍探しが実行されていたんです。そしてオルロンの槍の獲得者であるわたしに、イゾルデ姫が与えられることになっていたのです」
「そのイゾルデ姫を、あなたが殺(あや)めたんですね?」
「そうです」
「グレイビアードでは、入門者は、まず、自分の恋愛の軌跡(きせき)を書に記さねばなりません。あなたは、今、何歳ですか?」
「今年で三十歳になります」
「イゾルデ姫が生きていたら何歳ですか?」
「おそらく二十七歳です」
「恋愛の軌跡は、イゾルデ姫を含めた女性全員との記録になります。トリスタン、あなたが、恋愛の軌跡を描き終えるまで、この部屋に入ってもらいます。トイレはあります。あと、週に三回、入浴があります。着る物は用意してきましたね。それに加えて、黒のガウンを差し上げます」ガントレはそう言って、黒いガウンをトリスタンに渡した。トリスタンは机と椅子とベッドとタンスと便器が備わった一人部屋に入れられた。
「朝の七時、昼の十二時、夕の十八時に、食事を持ってきます。月曜日と水曜日と土曜日の朝十時に入浴です。浴室まで連れて行きます。その時以外は外から鍵をかけます」
「原稿用紙と書く道具はどこですか?」
「タンスの中に入っています」
「恋愛の軌跡は原稿用紙何枚くらい書けばいいですか?」
「最低一枚は書いてください。枚数に制限はありません。ドンバ語でもカリオン語でもかまいません。わかりましたか?」
カリオン語とゴート語は同じである。トリスタンは、ガントレに部屋の鍵を外からかけられ、一人になると思った。(このまま死んでいいな)そこに、ロイスのニッコリと笑う顔が現れる。(僕は良かったんじゃないかな。お母さん、お父さん、マリア、ありがとう。たぶんここで僕は死ぬんだ。良かったんだ。ドンバの遊郭ルイツァでコルマも抱いたし、ルキアと相思相愛になれた。もう思い残すことはない。イゾルデは、あんまり、いい女の子じゃないのかもしれないな。何でアメリ姫はルキアを見てニッコリしたんだろう。やっぱり、僕は間違えていたのかな。でも、ゴルムント僧官バラリアがダメって言ったし、しょうがない。言うことをちゃんと聞くいい子だな、ルキアは。僕と似てる。ルキアは、どうしてダメなんだろうな。ホビティアで風を読んだら、ルキアと相思相愛になれるって言われたから、嬉しかった。何とかルキアの笑う顔が見たい。いつも悲しそうな顔をしてる、ルキアは)
トリスタンは、タンスを開いて、原稿用紙と羽根ペンとインクを取り出した。トリスタンは八日間かけて、自分の恋愛の軌跡を書き上げた。途中出た食事は、どれも美味しい物だったが、時々、お腹が痛くなったり、頭がボーッとしたりした。食べ物には、薬が入れられているようだった。入浴は、大浴場であった。
「トリスタン、大丈夫ですよ。あなたは、すぐここで死んだりはしませんよ。わたし達もいつか死ぬでしょうがね」ガントレが言った。
「どうして、僕が考えていたことがわかっているんですか?」
「特殊な道具を使って、トリスタン、あなたが考えていることを見ていました。あなたはとても立派です」
「そうですか?」
「お父さんやお母さんや妹に感謝しているあなたの心の動きは、わたしを含めた他のグレイビアードの感動を興(おこ)しています。これから色々な真相をあなたに教えていきます。少しずつ学習していって下さい」
グレイビアードの学習は、龍語の習得から始まった。龍語の発音と、龍文字の記法と読解はいくぶん難解であった。三ヶ月ほど経つと、それに加えて、龍の呪法と龍の歴史の学習が加えられた。トリスタンの教育は、ガントレを含め、五人のグレイビアードによって行われた。入門から九ヶ月ほど経った頃から、トリスタンはイゾルデと対話できるようになった。特に儀式などはなく、イゾルデとの交信は突然、始まった。ガントレによると、それはいつものことらしかった。トリスタンは、何気ない日常の会話から、グレイビアードの修行、性的なことまで、姿の見えないイゾルデと話し続けた。この交信の中で、トリスタンのイゾルデに対する愛情は確かなものになっていった。入門後、三年間でグレイビアードの教育期間は終わり、グレイビアードは生涯をかけた研究生活へと入る。

入門から五年が経ったある日、トリスタンは、中庭の四阿(あずまや)に呼び出された。ガントレは一人のグレイビアードを伴っていた。
「トリスタン、こちらは最初のグレイビアードの一人であるパニタスさんだ」
「よろしくお願いします」トリスタンとパニタスは握手した。
「話すのは初めてかな、トリスタン」とガントレ。
「お見かけしたことはありましたが、話すのは今日が最初です」とトリスタン。
「トリスタン、よく聞いてほしい。グレイビアードは創設から、一千年以上経っている。わたしは最初期のグレイビアードだ。最初は三人からグレイビアードは始まった。わたしも年齢が、千歳を超えている。我々グレイビアードは、過去三回、黒龍ドリスカルド自身の訪問を承(う)けている。三回目の来訪の折に、グレイビアードは二百五十六人までと告げられた。実は、トリスタン、あなたが、二百五十六人目のグレイビアードなのだよ。二百五十六人目のグレイビアードは、黒龍ドリスカルドと共に、生きたまま黄泉(よみ)の国へと行かねばならない。その時に必要なのが、トリスタンと、その先祖代々が探し求めていたトリマスの大斧(おおおの)なのだよ。トリマスの大斧はもちろん知っているな、トリスタン?」
「知っています」
「よろしい。トリマスの大斧の所在は、オークの首長であるマラキ帝が知っている。我々グレイビアードが長い年月をかけて研究してきた龍(ドラゴン)について、ここに一冊の書籍として結実したものがある。これを君に託す」パニタスは頭陀袋(ずだぶくろ)から、本を一冊取り出した。その本は深紅(スカーレット)であり、表紙に『G』とだけ記されていた。
「この本を渡せば、マラキ帝は、トリスタンに、トリマスの大斧の所在を明かしてくれるはずである。この本は、マラキ帝以外には渡してはならない。くれぐれも言っておく。龍の研究は万物の運行について並々ならぬ影響力を持っている。本来はグレイビアードによって独占すべき龍の知識は、グレイビアードが、黒龍ドリスカルドと白竜カレンの再会によって、役割を終えるに当たり、正当な後継者を必要としている。オークのマラキ帝なら十分に、その資格があるとわたし達は判断している。オークには寿命がないことは知っているかね、トリスタン」
「オークが、致命的な病気や怪我を受けない限り、生き続けることは知っています」
「では何故オークに寿命がないかは知っているか?」
「存じ上げません」
「我々、人間、ホビット、ドワオーフ、オークは死後、黄泉(よみ)の国ソブンガルデにて、エルフとして永遠の命を得る。しかし、ソブンガルデに滞在中に、修行が足らず、正気では永遠に生きられなくなったエルフは、主要な記憶を一旦、失わされ、オークとしての姿で次の人生を送ることになる。十分に修行を積んだオークは、過去の記憶を取り戻し、姿も旧に復(ふく)して、再び、ソブンガルデの住人となるのだ。そして、マラキ帝ような前世がエルフでないオークもいる。グレイビアードになるオークは前世がない」
「わたしの最愛の人である、ドンバ王国の姫君イゾルデが、エルフだというのはどういうことですか?」
「そのことに関しては、わたしは独自の見解を持っている。イゾルデ姫は、カナルディア王妃とプレシオス王の娘ということになっていたが、実はそうではなく、イゾルデは、カナルディア王妃とデマストス騎士修道会総長、ハンス・ゲオルガイという人物の間に生まれた娘のようだ。ハンス・ゲオルガイはソブンガルデにいると思われるエルフであり、この世の人は彼に会うことはできない。ハンス・ゲオルガイは、ソブンガルデからデマストス騎士修道会を動かしてきたのだ。デマストス騎士修道会は、黒龍ドリスカルドにのみ従う独立した機関とされているが、実際には、デマストス騎士修道会に対する指示は、ほとんど、ハンス・ゲオルガイになされたものだろうとわたしは考えている。そして、トリスタン、君の恋愛の軌跡に出てくるルキアが、実は、カナルディア王妃とプレシオス王との間の実の娘であることを明かしておく。ハンス・ゲオルガイとカナルディア王妃の娘、イゾルデは、カナルディア王妃の腹から産まれ、プレシオス王とカナルディア王妃の娘、ルキアは、ドンバのとある町の女の腹から産まれたようだ。両者は、男女の交わりではなく、高度なエルフの技術による妊娠と出産であったことになる。以上は龍の呪法によって知りえたことだ」
「プレシオス王とカナルディア王妃は、ルキアが実の娘であることを知っているのですか?」
「おそらく知らないと思われる。ドンバ王家は母系の家系であり、もし、ドラゴリス法王座がドンバ王国に戻れば、アメリ姫かルキアが女王とならねばならない」
「プレシオス王は、盛んに戦争準備をしていましたが、戦争によってドラゴリス法王座がドンバのものになれば、プレシオス王自らが法王となろうと思っているのではないでしょうか」
「プレシオス王自身は、そう考えていたとしても、ドラゴリス教が、古代巫女から始まった以上、アメリ姫か、ルキアしかドラゴリス法王座につくことはできない。ドラゴリス教の呪法で、古代巫女から始まった母系集団には逆らえないわけである」
「アメリ姫は、一日に五分しかまともに話すことができないようです。となると、実質、ルキアが後継者となるのでしょうか?」
「アメリ姫の精神的な症状は、アメリ姫だけに特有な現象ではない。ドンバ王家のドマルト家では女子に一定の確率でアメリ姫のような女系子孫が発生する。彼女たちは三十三歳を超えたどこかのタイミングで、死去したことにされ、ドンバ王家のゴリアマ城のドラゴンの磐座の地下の洞穴に入れられる。正確な数ではないが、洞穴に入れられているアメリ姫のような女系子孫は二十人は下(くだ)らないと思われる。彼女たちはドラゴリス教の呪法に実質的な根拠を与えている。ドラゴリス教のドラゴンは、黒龍ドリスカルドだけではないし、白竜カレンだけではない。ドンバの地下洞穴にいる巫女たちは、さまざまなオスの龍と、さまざまなメスの竜と、対話することが出来る。龍や竜との対話によって、巫女たちは、特に未来予知に長(た)けている。
「イゾルデと食事をした際に、アメリ姫がにっこりと笑ったことが、あったんです。もしかすると、アメリ姫はルキアが実の妹であることに気付いていたのかもしれませんね」
「その可能性はある」
「わたしが黒龍ドリスカルドと共に黄泉(よみ)の国に生きたまま行くとして、黒龍ドリスカルドは白竜カレンに会えるのでしょうか?そして、わたしはイゾルデと再会後、再び、この世に戻ることになるのでしょうか?」
「黄泉(よみ)の国、ソブンガルデに関する我々のグレイビアードの知識は限られている。しかし、黒龍ドリスカルドは、二百五十六人目のグレイビアードが、黒龍ドリスカルドと白竜カレンの再会を実現させると予告していた。これは間違いない。ソブンガルデに行く時は、トリスタンは、黒龍ドリスカルドと共に、トリマスの大斧(おおおの)で次元を切り裂いて行くが、ソブンガルデからこの世に戻る時は、黒龍ドリスカルドとトリスタン、白竜カレンとイゾルデ、のペアで、ドンバ王国の辺境、ベラストの神の井戸から戻ることになっている。そして、黒龍ドリスカルドと白竜カレンとトリスタンとイゾルデで、ここアトス山のグレイビアードに最終報告をしてほしい。黒龍ドリスカルドと白竜カレンの再会と、結婚が確認できたら、我々グレイビアードの使命は達成されたことになる。誤解を生じさせそうな中途半端な書物は処分し、グレイビアードの設備は、オークのマラキ帝に手渡そうと考えている。トリスタンを除くグレイビアードは全員、《最期の間》で、全身に特殊な油を塗って、火を点け、ソブンガルデへ旅立つ予定である。わたし達もついに最愛の人との再会と結婚をすることになるのだ」
「この世に連れて帰ることが出来るのは、イゾルデだけですか?」とトリスタン。
「他に連れ戻したい人がいるのか?」パニタスが尋ねた。
「ガントレ、わたしがグレイビアードに入門する際に同行していた黒人の旅の仲間を覚えていますか?」
「君に黒人の連れがいたことは、覚えている」とガントレ。
「彼の名前はロイスというのですが、やはり死に別れた女が彼にもいたんです。クオリアという名前の女子レスリングの選手でした。ゴート王国の首府メンファの高名な呪術師に二人が必ず結婚できる秘技を行ってもらった所、クオリアはしばらくして自殺しました。ロイスは責任を感じ、四年に一度の三王国合同の武術大会であるパンクロイドで、持ち金を全て、女子レスリグの賭けに使い切るという償いをしています。ロイスの導きがなければ、わたしはグレイビアードにはなれませんでした。クオリアを連れて帰れば、わたしはロイスに恩返しができます」
「ソブンガルデから戻ったクオリアは、エルフとして永遠の命を得ているが、ロイスは一旦、死んでソブンガルデに行くか、ここグレイビアードで永遠の命の処置を受けなければ、寿命で死んでしまうのだが、どう思うかね?」パニタスが言った。
「わたしの直感的な考えなのですが、生きとし生ける者は皆、死という通過点を通ります。わたし、トリスタン自身も、死という経験を踏まなければならないと思うのですが、いかがでしょうか?」
「トリスタン、君はよくわかっているね。永遠の命のためにグレイビアードに入ることは元々できないのだよ。グレイビアードの永遠の命の処置をしても、千年が限度だと言われている。アメリ姫たちも同じだ。やはり、我々は、ドラゴンや動物と同じく、死というプロセスを経ることが必要なのだ。黒龍ドリスカルドが不死なのも、おそらく、どこかの時点で死を経験しているからだと思われる。トリスタン、そして、ロイス、イゾルデ、クオリアが最終的にソブンガルデに居るべきか、この世に居るべきかは、黒龍ドリスカルドと白竜カレン、そしてハンス・ゲオルガイといったソブンガルデの実権者と対話して決めねばなるまい。ひとまず、我々、グレイビアードで、ロイスの身柄を確保しておこう。トリスタンが、我々に最終報告に戻るまでには間に合わせるつもりだ」パニタスが言った。
「わたしがイゾルデもクオリアも連れて戻らずに、最期の間で、他のグレイビアードと共に、また、ロイスと共に、ソブンガルデに旅立つ、というのはどうでしょうか?」
「それが最も自然ではあるが、やはりソブンガルデに一度、行ってからではないと明確な答えは出せない。我々がイゾルデに、この世に戻ってきてほしいのは、我々も最愛の人と再会できるという確信が欲しいからというわがままなのだよ。そして、トリスタン、あなたも不死のために死を経験すべきだ。イゾルデはこの世に戻さなくてもいいが、最終報告は、黒龍ドリスカルドと白竜カレンとともにしてほしい。最終的には、ソブンガルデで、進退を決めてほしい」
「この世に戻ってきたイゾルデが、もう一度、死んだら、どうなるんですか?」トリスタンが尋ねた。
「一度、死を経験した者は死なないと言われている」パニタスが答えた。
「どういうことですか?オークになったエルフも同じなんですか?」
「死んだ人間が人間の姿のまま生きてソブンガルデからこの世に戻ってくるということ事体が今までなかった。オークになったエルフは、この世で死ぬと、別の肉体のオークとしてこの世に復活する。オークになったエルフは修行を終えないとソブンガルデには戻れない」
「では、この世に戻ったイゾルデが、死んでオークになるということはありえますか?」
「今まで前例のなかったことでもあり、自信を持っては言えないが、いわゆる『不死』ということを考える時、不死の黒龍ドリスカルドについて考えを巡(めぐ)らせるとわかりやすいだろう。生きとしいける者が、永遠に生きるためには、死という過程を最低でも一度は経験しないといけない。逆に必要以上、死を経験する必要はない。そこで、一度、死んで死ぬ必要のなくなった黒龍ドリスカルドは、運命管理、あるいは因果律の管理といってもよいだろうが、それによって死ぬことのないように管理されている。この世に戻ったイゾルデも、おそらく、黒龍ドリスカルドと同じく、死ぬことのないように管理されるはずだ。トリスタンが、生きたまま、ソブンガルデに行くことは、エゴルディア大陸の政治支配体制に、大きな変革をもたらす可能性が高い。だからこそ、イゾルデやクオリアのこの世への帰還も含めて、トリスタンの進退はソブンガルデの住人とよく話し合って決めなければならないのだ」パニタスが言った。
「ソブンガルデから帰還後の最終報告の際にルキアを呼んでもらえないでしょうか。ドンバ王家の血筋であることが明らかなアメリ姫を呼ぶことは難しいでしょうが、ルキアはドンバ王家の血筋とは知られていないので呼び出しても支障はないはずです」トリスタンが言った。
「ロイスとルキアは、我々で呼び出しておこう」パニタスが言った。
「ゴルムント教教祖のゴルムントと会う必要はないのですか?」トリスタンが言った。
「ゴルムントはデマストス騎士修道会総長のハンス・ゲオルガイ同様、この世の人が会うことはできない」パニタスが言った。
「マラキ帝なら、ゴルムントについても、もっとよく知っているでしょうか?」トリスタンが言った。
「少なくともわたしよりはマラキ帝の方が、ゴルムントについて知っていることは多いだろう。どうしてゴルムントについて知りたいのか?」パニタスが言った。
「ルキアは、ゴルムント僧官バラリアに運命を握られています。わたしはルキアを自由にするため、ゴルムントについて知る必要があると考えます」トリスタンが言った。
「ルキアとゴルムント教に関しては、マラキ帝に尋ねるのがよかろう」パニタスが言った。
「わかりました」
トリスタンは、グレイビアード入門の際に着ていた服と金銭と短剣ロッドやウリドラ聖書といった荷物をまとめ、翌日の朝、グレイビアードの館を出て、アトス山を下山した。アトス山の樹木は紅葉していた。