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思索とアートとヘアカット
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第九章

順一は鏡の前でもう一度自分の丸刈りを手で撫でた。ふと、順一は泉鏡花の『高野聖』という小説を思い出した。山の中に美女が住んでおり、性的な邪心を抱いて彼女に近づく旅人たちを次々に動物に変えていた。しかし、熱心に修行をしていた若い僧は美女に誘惑されながらも、性的欲望を表に出さず、無事に旅路を続けることができたという筋である。さしずめ順一は美女の魔力によって動物に変えられる代わりに、郁美という美女に髪の毛を奪われてしまったことになる。

順一は自分の性的欲望のために、順一自身が最も恐れていた丸刈りにされてしまった。日本や中国の仏教の修行者は、出家する際に、髪の毛を剃り落として坊主頭になる。それは髪への執着を捨てるためだという。そしてそれはさらにはあらゆる欲望を捨て去ろうという決意につながっている。順一の性的欲望も郁美のバリカンによって髪の毛ともに刈り落とされたのだろうか。もしそうであれば順一は幸せだっただろう。しかし、実際はそうではなかった。自分の性的欲望の暴走が、鏡の中にいる情けない丸刈りの自分にしたということで後悔の念はあったが、むしろ、順一の性的な欲望は、郁美に丸刈りにされてからさらに激しく燃え上がっていた。欲望とは苦しみである。特に容易に満足させることのできない欲望は非常な苦しみである。順一の郁美に対する性的欲望は順一を激しく苦しめていた。順一は生まれて初めて丸刈りになったことによって、自分の性的欲望が髪の毛への執着、すなわち丸刈りを恐れる心理とつながっていることをあらためて見出したように思った。順一は郁美に丸刈りにされた。順一は、最も恋しいと思っている人から、最も大事に思っていた髪の毛を奪われたのである。それは順一が郁美に征服されたことを意味していた。そこには奪われる快感、征服される喜びがあった。郁美のバリカンで丸刈りにされることは実は順一自身が無意識のうちに最も望んでいたものだったのではないだろうか。自分が最もされたいことと、自分が最もされたくないことは、実は同じであるという奇妙な論理である。郁美の手に、ぐっと抑え付けられながらバリカンで髪の毛を刈られる時、順一の心にあったのは屈辱感ではなく燃え盛る性的な欲求だった。事実、髪の毛を郁美のバリカンで刈られている順一は男性器を激しく固く勃起させていたのである。


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