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思索とアートとヘアカット
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第六章

校門ではドイツ系アメリカ人の神父が英語で中学生たちに挨拶をしていた。彼はこの学校の校長である。順一も中学生の頃は、この赤ら顔の神父と英語で挨拶をしたことがあるが、いつも気恥ずかしい思いをした。日本語でも用が足せるのにわざわざ英語で話すからだろうか。また、会話の内容が普通なら話さないようなことであったためかもしれない。順一は靴箱で上履きに履き替え、高校の校舎へと移動し、階段で三階まで上がった。この学校は向かって右が中学校、左が高校というようになっていた。中学校に入ったものはほぼ全員高校へと上がっていた。中学校高校一貫の教育なのである。だから、中学生と高校生は気軽に交じり合っていた。

時計を見ると七時時五十分だった。朝礼まで三十分もある。教室には男子が五人に、女子が三人いるだけだった。順一は手持ち無沙汰のときはいつも文庫本を取り出すのだが、その日はそういう気分ではなかった。彼は教室の横のベランダに出た。学校が山の上にあるので、そこからの眺めはなかなかよかった。山間に住宅地が広く並んでいる。遠くゴミ焼却場の大きな煙突が見えた。その前は学校の敷地だろうか。グラウンドのようなものが見えた。心地よい風が順一の頬をなでた。するとそこに順一の親友の大岩真治がやってきた。

「どうしたんですか?今日はこんなに早く」大岩真治はなぜかいつも敬語を使う。順一だけにだけでなくみんなにそうなのだ。真治は実直な性格で、体格が良く、善良そのものといって良い人物だった。しかし、あまりに真面目なので、級友たちからからかわれることもあった。
「いや、今日は早く目が覚めたんだ」
「ふーん。そうですか。ところで、今日の英語の宿題やってきましたか?杉田先生は宿題を出しすぎですよね」
「そうだね。一応やったよ。僕は英語が好きだからいいけれど、嫌いな人にとってはひと苦労だと思うよ」
「数学の宿題を沢山出されるよりはいいけれど、かなり大変でしたよ。杉田先生、またみんなからだいぶ文句言われるだろうね」
「杉田先生は熱意があっていいのだけれど、ちょっと頑張りすぎだね。あれじゃ、みんな、ついて行けないよ」
「杉田先生は上智大学の英語学科でしたよね。聞くところによれば、中学・高校時代は英語づけの毎日だったそうで」
「よっぽど英語が好きなんだろうね。たしか杉田先生のお父さんも英語の先生だったらしいね」
「へー、そうなんですか。英語一家ですね」
「杉田先生はまだ教師になってから日が浅いのに、あれだけ頑張って僕は感心するよ」
「杉田先生は生徒に期待しすぎてるんじゃないですか」
「そうだね。時間がたてば、杉田先生の熱血ぶりもだいぶ調整されると思うけど」
「そうかなー。あの先生はずっとあんな感じじゃないのかなあ」
「あはは、そうかもしれないね」

八時十五分になった。生徒たちが続々と到着してきた。その中に、平岡郁美の姿が見えた。順一は、郁美を目で追ったが、郁美がこちらを向くと、急いで顔を動かして、見ていないふりをした。順一は明らかに自意識過剰であった。普通なら気にしないようなことまで気にするのが順一の性格だった。郁美にどう思われるということが、順一には何かとても怖いことのように思われた。郁美が教室の後ろのほうに行って、他の女子たちと話しているのを、順一はそっと盗み見た。郁美はいつもと変わらず能天気な様子で、お笑い芸人のマイケルのまねをしてふざけていた。《いや、いつ見ても美しい女だ。実にいい女だ。》順一はつくづくと胸の中でかみしめるようにそう唱えていた。

そのうち担任の浜島がやって来た。八時二十分になった。浜島は学級委員長の山中恭三に号令をかけるように言った。山中恭三が号令をかけると、生徒たちは立ち上がり、ややぞんざいに「おはようございます」と言って着席した。出席確認が始まった。浜島が名前を読み上げ、呼ばれた生徒が返事をした。《いつもどおりの朝だ。》順一はそう思った。順一にはそれがいかにも不思議なことのように思えた。順一が郁美たちのいるバレー部の部室に行く今日という特別な日が、順一以外の人間にとっても何か特別な日であらねばならないというような錯覚を順一は持っていた。しかし、順一以外の生徒たちにとって今日という日は昨日や一昨日とほぼ同じ価値しか持っていなかった。順一はそこに他の生徒と自分との隔たりを感じずにはいられなかった。

いや、それは今日だけのことではないかもしれない。順一は普段から自分と自分以外の生徒や他の人々に対していつも隔たりを感じていた。順一は自分を特別な人間と考えているわけではなかったが、自分が外国人であるかのように感じることが多かった。順一は精神的に孤独だった。順一はテレビをほとんど見なかった。新聞もマンガも読まなかった。そのため、順一は他の生徒たちの話題についていけないことが多かった。順一が接する情報は文庫本や新書、インターネット、映画に限られていた。順一は一見すると難しそうな本が好きだった。本当に難しい本は順一にも読めなかったが、多くの本は見かけよりも簡単であることに順一は気付いていた。順一が最も自分に近い存在だと感じていたのは、友人ではなく、父親の隆志であった。隆志が順一の小さい頃から順一に与えてきた影響は大きかった。隆志も文庫本が好きだった。隆志の本棚には千冊に達すると思われるほどの文庫本がつまっていた。中学生の順一にアメリカのO・ヘンリやイギリスのサキを教えたのも隆志だった。順一は、「ひねくれる」ということの良さを隆志から学んだように思う。

順一の理論はこうだった。一度だけ、「ひねくれた」者は、社会から迫害を受ける。だが、二度、「ひねくれた」者は三百六十度回転して、他の人たちと見分けがつかなくなり、社会に適合する。順一の目指しているのはこの「二度、ひねくれた者」であった。しかし、現実には順一は一度しかひねくれていなかった。順一は自分自身から見ても他人から見ても孤独であった。その点、順一のもう一人の親友で優等生の吉山幸一は、順一から見ると「二度、ひねくれた者」であるように思われた。だから、順一は吉山幸一を羨ましく思っていた。「二度、ひねくれた者」は、他人から見ると決して孤独なように見えない。だが、本人の中では他者との間に隔たりを感じ、孤独を感じているものである。順一は多くの偉大な思想家が孤独を感じつつ生きているのを知っていた。孤独そのものに意味があるのではなく、彼ら、偉大な思想家は、時代を先んじているために孤独なのである。ニーチェや夏目漱石といった人たちは、明らかにそのような傾向を持っていると順一は考えていた。


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