うちに帰ってから順一はその日に起こったことを思い返していた。それは何となく現実感のない出来事だった。郁美とあれほどの言葉を交わしたこと自体が実は初めてであった事ばかりではなく、恋の話を直接したのである。彼の精神は、本当のことを郁美に言うべきかということまで考えが回らないほど混沌としていた。ただ、あれほど間近に感じた郁美の息が順一にはたまらない快感だった。順一はそれだけでもう充分だと思っていた。明日はバレー部の部室に行くのだ。しかし、それが何となく現実感のないのは、郁美自身が現実に存在する人物(おんな)と思われないのと同じだった。そこまで郁美は順一の中で純化され理想化されていたのである。
順一は不安になった。それは明日が現実との対決となるからだった。明日になってしまえば全てが決まってしまう。今までの曖昧模糊とした状態を脱することになるのだ。明日が順一にとっての最後の審判となることは明確だった。順一は出来ればそれを避けたかった。最悪の場合、郁美から絶縁を宣告されてしまうのだ。順一は、そうなることを避けるための方法は一つしかないと思った。それは「本当のこと」を言わないのである。「愛」が「真実」であった。しかし、それが「死」へと転化する恐れを順一は無意識に感じ取っていたのである。
夕食をとる順一も上の空であった。順一の妹である和子は相変わらず、順一を軽蔑すべき存在として順一から顔を背けていた。和子は順一に対して激しい憎悪の念を持っていた。そうして、順一も和子を激しく憎んでいた。彼らの間柄は冷え切っていた。しかし、その原因は順一自身にあるのだということは順一にはわかっていた。わかっていたのだが、和子の順一に対する侮蔑的な態度が順一をさらに一層、意固地にさせていた。和子の兄に対する侮蔑的な態度に順一が文句を付けると母親の房江は必ず和子の肩を持った。そして、次第に父親の隆志までもが和子の側にまわった。順一は追い詰められて来ていた。
「階段を下りるの時にばたばたと降りるのはやめなさい」
これは房江だった。房江はことあるごとに順一を攻撃した。それが息子に対する愛情からなのか、無意識的なところでの息子に対する嫌悪感からであったのかわからない。しかし、母親の攻撃が順一にとって心理的圧迫となっているのは確かである。最近、順一は母親の自分に対する愛情に疑問を抱くことが多くなっていた。自分を厄介者として母親が感じているのではないかということである。そういう点で妹の和子も同じであった。和子は明らかに順一を邪魔者だと考えていた。順一が自分の兄であるということ自体が許しがたいことであるかのように。事実、和子は順一のことを「お兄ちゃん」と呼んだことが一度もなかった。
「階段の降り方くらい僕の好きなようにしてもいいだろう!」
順一は母親の攻撃に耐えかねてこう言い放った。順一は、母親との間に起きるこういったことを、もう、いい加減に止めにしたいのである。その後、順一と母親との間に口論があったのは明らかであるが、父親の隆志の仲裁でその場は納まった。
順一は、夜寝る前に、今日起きたことを、ゆっくりと反芻した。あの間近に感じた郁美の肉体。恋について語ったこと。あのアスファルトの照り返しのある高台で順一が今日、感じたことは生涯忘れられぬことになるかもしれないと思った。太陽が強く、順一も郁美も汗で濡れていた。郁美の若い躍動する肉体とそれを覆う引きしまった皮膚に、順一は思わず吸い込まれていた。美と醜、郁美と順一であった。ふと、順一はオペラ座の怪人のことを思った。クリスティーヌが郁美で、怪人が順一である。しかし、男らしさのある郁美はクリスティーヌと調和しないかもしれないとも思うし、怪人のように郁美に教えるべき歌も音楽も順一にはないと思われた。一体、何が自分の財産なのか、と順一は自問した。勉強は人並みに出来る。それが順一の財産か。読書ができる。それが順一の財産か。しかし、それが、順一がこれから暮らしていくための金銭的支えになるのか。順一は不安だった。自分の前途にかかるもやもやとした暗雲が晴れないのを順一はもどかしく思っていた。順一は、どうしても寝付かれないので部屋で音楽を鳴らした。ハリウッド映画「シカゴ」のサウンドトラックだった。
”He had it coming. He had it coming. He only had himself to blame. If you’d have been there, If you’d have seen it, I betcha you would have done the same!”
「あいつが悪いのよ。あいつが悪いのよ。あいつだけが悪いの。あの場所にいて、あれを見たなら、誰だって同じことをするわ!」
順一はこのフレーズを気に入っていた。刑務所に入ってもなお、自分の犯した殺人を当然のことと開き直り、「何が悪いのか!」と歌う彼女たちの強さに順一は惹かれていた。「シカゴ」のヴェルマやロキシーのほうが、何人も殺したのに、刑務所に入るなり、急に大人しくなってしまい、過去の罪を反省したふりをし、かつての罪を劇化して商売にするような女よりもずっと性根が正直でいいと思った。一体、刑務所に入って、真の意味で悔悟する囚人が本当にいるのだろうか。そう、順一は思った。殺人のほとんどは綿密な計画か衝動によるものだろう。綿密な計画を練ったのなら、犯罪者たちは社会的に悪とされることをしているということは百も承知の上だろう。衝動で人を殺すなら、成り行き上そうなっただけで、自分に罪はないと思うだろう。たまたま、警察や裁判所といった権力機関に捕らわれてしまったために、彼らは無理矢理、自分の罪を意識するように仕向けされるわけだが、彼らが感じているのは、殺人の罪よりも、捕まってしまった自分の失態の後悔だろう。彼らは弱い。犯罪者は弱者なのだ。もっと強ければ捕まらないのだ。そう考えていくうちに、順一は自然と眠りに落ちていった。
翌日、順一は寝起きが悪かった。しかし、それはいつものことだ。寝付きも寝起きも悪いのが順一であった。寝起きが悪いというと、苦しいような印象があるが、それは起き上がることが苦しいのであって、順一は、起きる苦しみの一方で快い眠りと一体となっている幸福感にひたっているのであった。順一は今日これから起こることをふと思い出し、逃げ出したいような気分になったが、同時に郁美のそばに行けるという幸福をこれから手にするということに少なからず心引かれた。
順一はいつもよりははっきりした調子で一階に降りた。順一の朝食はいつもワカメとハムとゆで玉子とパンだ。パンを牛乳と一緒に食べた後、順一はカスピ海ヨーグルトを果物と一緒に食べた。カスピ海ヨーグルトは、母の房江が知人から種を譲り受けたもので、房江は毎日かかさず牛乳からヨーグルトを作っていた。話によるとこのヨーグルトはカスピ海沿岸地方から長寿食を研究している京都大学の教授が持ち帰ったものだという。
「今日はいやに早いじゃないの。どうかしたの」と房江である。
「別にどうもしないよ」順一は無愛想にそう言った。
房江は掃除、洗濯、料理を完璧にこなしていた。完璧な主婦である房江の前では、普通ならだらしがないとは言われない順一も、欠点だらけの息子と映るようであった。
順一は食事を終えると、洗面所に行き、歯を磨いた。今日はいつもよりも念入りに磨いた。大事な時に口臭がしたりしては問題だと思ったのだろう。歯を磨き終えると、ニキビを防止する洗顔用石鹸で顔を洗った。順一はもともとニキビが出来やすかったが、この石鹸を使い始めてからは、嘘のようにニキビが消えていた。しかし、だからといって、順一の容貌コンプレックスが解消されたわけではない。順一の容貌コンプレックスは根深いものであったが、克服するには好きな女に愛される体験であろうことは順一もわかっていた。しかし、順一の内気な性格からしてもそれは困難なことであった。克服困難なこのことを克服できたら順一は何の迷いもなくなるのではないかと思っていた。無論、人生はそういうものではない。ひとつ迷いがなくなれば次々に迷いが出てくるものだ。
ドアを開けると、朝の光が順一の目を射った。順一は自転車の鍵を外して自転車にまたがった。この自転車は三段階切り替えになっている。中学の頃から使っているのが事故で使えなくなったので、高校生になってから新たに買ったものである。オリーブ色の車体に、銀色のサドルがきれいに映えていた。握り手の部分は茶色のビニールで覆われていた。順一はアンドリュー・ニコル監督の映画「ガタカ」が好きで、「ガタカ」に出てきそうなデザインのものを好んだ。順一の時計や自転車がそれである。シンプルでクラシックな感じの上品な雰囲気、銀色に光る金具といったものが特徴である。順一は門を出てなだらかな坂道を登っていった。途中で左に曲がり、さらに坂を登っていく。この坂はなだらかではあるが、長く、かなり体力を消耗させる。順一はもう慣れているはずだったが、最後のほうになると息を切らしていた。信号を渡ってしばらくすると校門に着いた。