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こけしヘア

わたしは今、福岡の大学に通っている医学生です。昔の思い出を語らせてください。わたしの実母はわたしが小学校3年生のときに、交通事故で亡くなりました。父は大手の銀行で経理の仕事をしており、しばらく男手一つでわたしを育てていてくれたのですが、わたしが小学校5年生のときに、同じ会社で働く年上の女性と恋に落ち、再婚しました。それが今の母です。その母(紀美子)はバツイチで、2人の子供(姉弟)を連れて父(啓太郎)と再婚しました。

当時の母は営業と企画の仕事をしているばりばりのキャリアウーマンで、時間どおりに帰ってくる父と違い、休みの日も出勤したりと、かなり忙しい人でした。わたしたち子供たちになかなか時間をさくことができないのを母はよく気にしていましたが、そんな母が、本人いわく「スキンシップのため」かかさずやっていたのが、家族の散髪です。母は最初の夫と一緒の時からずっと夫と子供たちの髪を自分で切っていたそうです。わたしの父と再婚してからもそれは続きました。素人床屋でしたけど、母はハサミとクシとスキカル(電動バリカン)を器用に使いこなして、ちょっと見では素人とは思えない腕前でした。

わたしは幼稚園の頃からずっと背中から腰くらいのロングだったのですが、新しい母の床屋さんにお世話になり、めでたく(?)「おかっぱ」にされました。

母が連れてきた恭子(2歳年下)と隆司(3歳年下)と最初にわたしが会ったとき、恭子は短めのおかっぱ、隆司はスポーツ刈りでした。母は毎月1回月の後半の休みの日を散髪の日と決めていて、夫と子供たちの髪を切っていました。母は男も女も短髪が好きで、自分もショートカットにしていました。一緒に住み始めてから最初の散髪の日の前日に、わたしの髪も切らせてほしいということで、「長い髪は暑苦しくない?これから夏だし、すこし短くしてみない?いいでしょ?」と母に言われました。わたしはほんとうは嫌でしたけど、けんかするのはいやだったのであんまり短く切らないでとお願いして承諾しました。

散髪の当日、最初に母の散髪イスに座ったのはわたしでした。リビングでライトブルーの散髪ケープとタオルを巻かれ、「由紀子、いいわね、切るよ」の母の声とともに、腰まであったわたしの髪に母の散髪バサミが入ってきました。母は散髪のときは濡らさないで切る主義で、ジャキ、ジャキ、バサッ、バサッと豪快な音を立てて、わたしの髪の毛をどんどん切っていきました。いきなり30センチくらいの長さの髪の束が床やケープに落ちてきました。鏡はなかったのでどうなるかわからず、不安でたまりませんでしたが、落ちて行く髪の毛の長さから自分の髪がどれくらい切られているのかはわかりました。母のハサミが動くたびにわたしの頭はどんどん軽くなっていきました。今までわたしの頭にあったはずの髪の毛が次々に床やケープに積もっていきます。わたしはビクビクしていましたが、変に動かすと、失敗してもっと短くされると思って、じっとしていました。前髪も眉上で切られました。最後に短く切りすぎてラインからはみ出した襟足の毛をスキカルでジョリジョリ剃られました。母に手鏡をわたされました。鏡の中にいたのは、かつてのロングのわたしではなく、「こけしちゃん」でした(泣)。母は「さっぱりしたわね♪由紀子も短い方がよく似合って、かわいいね」とお世辞ともなんとも言えない自己満足の感想を言われました。自分の信じられないほどの頭の軽さに戸惑わずにはいられませんでした。次の日、学校に行くのがかなり怖かったです。

でも慣れというものは恐ろしいもので、わたしは中学を卒業するまで母の床屋でおかっぱにカットされていました。高校になるとようやくロングになったのですが、毛先を切ったりとかは母がやってくれました。わたしは大学になって東京から福岡に引っ越して一人暮らしを始めたので、さすがに母に散髪はされていません。大学になってほんとにひさしぶりに美容室に行き始めました。やっぱりドキドキ感はかなりあって緊張しました。

記事作者:加来典誉
公開日:2022年10月24日(月)
カテゴリー:小説