ここでは男性と女性について、精神と肉体を統合した形で論及しようと思う。第一に男性は理性的、女性は直感的という定義があるが、これは本当であろうか。女性の著名な哲学者はほぼ皆無である。脳の物理的構造から比較すると、左脳と右脳を連結している脳梁(のうりょう)が女性の方が太いそうである。女性の方が男性よりも語学習得がたくみな一因にこの脳構造があるらしい。たとえば左脳で発生した電気信号が右脳のある地点に到達するのに、左脳と右脳の連結が太い方が伝達が速くなる。例えば、「イス」という日本語が左脳にあって、右脳に「chair」という英単語があるとすれば、女性の方がすぐに翻訳できるはずである。一般に論理的思考は左脳、直感的な思考は右脳がつかさどると言われているが、これは男性において顕著であるが女性ではそれほどはっきりわかれていないのではないかと思う。机上の空論に陥(おちい)りがちなのは男性である。左脳の理性的思考(言葉を使った思考)が一人歩きしており、現実と感覚的に認識している右脳との情報のやりとりが狭まり、現実離れした思考が起こる。女性においては論理的思考・直感的思考の両方が右脳と左脳の両方で行われているのではないかと思う。つまり、女性の脳は右脳と左脳の役割分担があまりないということではないかと思う。左脳の論理的思考を「べきである」という理想だと仮定し、右脳は「である」という現実だと仮定すると、理想と現実のギャップが大きいのは男性であると考える。事実、自殺者は男性の方がかなり多い。女性の方が理想と現実に上手に折り合いを付けることができるのは、右脳と左脳の連結が太く一体であるからと考えてはどうだろうか。
第二に、過去に付き合っていた異性に対する感情にも男女で差がある。男性は以前、付き合っていた女性に未練を持つことが多いが、女性は以前、付き合っていた男性について実にあっさりと区切りをつける。この行動の違いは、女性が産む性であることと関連していると思われる。女性にとっての出産とは結婚と切り離して考えにくいことであり、さらには出産は命がけの行為である。であるから出産の前提となるSEXと付き合いの開始は慎重にならざるをえない。女性にとっては玉石混淆(ぎょくせきこんこう)のたくさんの男性と付き合うより、自分にとって最高の男性を一人見つけ出すことに最大の関心があるのは自然なことだと言える。一方、男性は自分が出産する訳ではないので、より数の多くの女性とより数多くのSEX体験を求めるため、いろいろな女性に目がいきがちである。
第三に、芸術についての男女の差がある。音楽では著名な女性の芸術家がいるが、いわば一流の芸術家は男性がほとんどである。これはなぜであろうか。これも右脳と左脳の連結の問題で、左脳の理想が右脳の現実と妥協しないところに生まれるのではないだろうか。例えば、料理をしているときは、プロの男性の料理人であれば、一点でも気に入らない点があれば、料理をまるごと捨てかねない。女性の場合は、「まあいいか」と妥協してしまう所がある。こだわりが芸術を生むからで、ありえない理想を現実化させようとするのが男性だと思う。
第四に男性は能動的、女性は受動的だと言われることがあるが、これは 本当だろうか。ことSEXで見れば、女性は受け身の状態で男性から行為を受けるようになっている。ここからの発展であろうか、女性、特に日本の女性は男性から誘われるのを待っている。状況はより複雑で、女性は自分が誘われるように他の女性と連携しながら男性を誘導することがある。SEXにおいて男性が勃(た)たなければ、行為に及べないが、女性は目をつぶって感触と嗅覚と言葉で感じ、行為に及べるようになる。男性は女性を見た目で選ぶことがほとんどであるが、男性の性器の勃起は視覚情報をもとにしていることがほとんどであるからである。SEXや恋愛のあり方は男性は能動的、女性は受動的と言えるが、その他の日常はでは必ずしもそうではないと思う。
近代以降、男女同権について意見が交わされているが、SEX、恋愛には男女に大きな違いあり、体力でも男女に差がある。脳の構造、思考パターンにもかなり差がある。これらは先天的(アプリオリ)にそうだと言える。したがって、男女同権とは、男性と女性を同じように扱うということではなく、男性と女性を種類の違う動物といったように接し方を別々に考えなければならない。男女同権は先に言ったSEX、恋愛以外の、能動性、受動性といった後天的(アポステリオリ)男女で共通する特徴の箇所で実現するべきことなのである。