あなたは会議が好きですか?
会議の途中で居眠りをしたり、最後まで黙り込んだりしていませんか?このエントリーは役に立つ会議というものをテーマにしています。
僕が考える役に立つ会議は次の3つのポイントを満たしています。
僕がこれまで参加したことのある会議では、この3つのポイントが全くもしくはほとんど抜け落ちていました。それが理由でこのエントリーを書いているわけですが。
僕が思うのは多くの人が「話し合い」と「会議」を混同してしまっているのではないかということです。僕は両者を次のように区別していす。
話し合いの目的:話し合いに参加する人たちが最終的に意見や気持ちを一つにまとめること。
会議の目的:会議に参加する人たちが抱えている問題点をできるだけたくさん発見し、可能なら解決策まで見つけること。
「話し合い」と「会議」の決定的な違いは、人間の「感情」に対する考え方です。
「話し合い」では参加者の「感情」は最も重要な要素です。最終的に意見や気持ちをひとつにまとめることが話し合いの目的だからです。一方、会議では「感情」はひとまず脇に置いておくべき要素です。よく会議で自分の意見を否定されて怒り出す人がいますが、そのような状況は望ましくありません。参加者が感情的になることで、会議に提出される意見や問題点が見えにくくなり、参加者に対する好き嫌いで意見が判断されてしまいがちになるからです。
悪い会議の例として、第二次大戦の戦艦大和の海上特攻作戦を決定した会議が挙げられると思います。参加者の誰もが十分な航空機による援護のないこの作戦の無効性・不可能性に気づいていました。それにもかかわらず特攻作戦は決定されました。なぜなのでしょうか?その最も大きな理由は「会議の空気」でした。実はこの場合、会議が始まる前から、大和特攻は「当然のこと」として参加者の中で暗黙のうちの了解があったようです。そのようなななかで「その作戦は無意味だ」と主張することは、場違いなこととして慎まなければならなかったのです。つまり、この会議の目的は、大和特攻の可否を決めるための会議ではなく、作戦を断行するために参加者の「気持ちをひとつにする」という意味合いにおいて行われたのではないでしょうか。つまり「会議」ではなく「話し合い」だったのです。
現状の日本の学校や会社においても、この大和の特攻作戦の会議と同様に、「会議」の名前をした「話し合い」が往々にして行われています。実はこれは日本人の国民性と切り離しては考えることのできない問題なのです。日本人は理性と感情を区別して扱うことが苦手な国民です。もちろん僕も含めてですが。だからこそ、重大な問題を扱う「会議」を「話し合い」にしないために、意識的に「会議」がより「会議」らしくなるための自覚が必要だと思います。
僕は「話し合い」が役に立たないということを言っているのではありません。最近、仲が悪くなっている夫婦がふたたび仲良くなるために二人で「会議」をするのは間違いです。この場合は当然「話し合い」をしなければなりません。しかし逆に今後の会社の方針を決めるのに「話し合い」をするのは危険すぎます。
日本人の社会では大人は「空気を読むこと」を求められます。日本人は「空気を読むこと」によって人間関係をスムーズにし、不必要なエネルギーを使わなくてすんでいます。自分よりも他人に合わせる。他人が謝る前に自分が謝る。といったことは日本人の美徳でもあります。「話し合い」では「空気を読むこと」は重要です。しかし、これが「会議」の場においてはマイナスに働いてしまっています。「会議」において「空気を読む」と、みなが同じような意見を出すか、それ以外の意見の人は黙り込んでしまっていることになりかねません。これでは問題発見・問題解決ということがほとんど行われなくなってしまいます。
現実問題として、「会議」を「会議」らしくする、つまり、会議を有効なものにするためには会議の司会者の技量が非常に重要です。司会者という言葉が不適切なら議長でもいいのですが。最後に僕の考える良い司会者の特徴を記述しておきます。
確かに上記にリストしたポイントをすべておさえている司会者はなかなかいません。しかし会議の司会者が上記のポイントを意識しているだけで状況はだいぶ変わるはずです。