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思索とアートとヘアカット
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宗教の魅力

「宗教とはアヘンである」という言葉がある。これは宗教の魅力を表す言葉ではないだろうか。結局、人間というのは理詰めでは生きていけないということではないか。言葉によるものと感覚によるもので成り立つのが認識である。アヘンの豊かさをわたしは知らない。しかし、その湿った美しさは嗅覚とともに皮膚感覚を刺激する。怪しげな香があたりを包む。魔術とか儀式とかの複雑な様相が、いわゆる吾人の美術的感覚をくすぐる。薬物の見せる幻覚や妄想が時には美的喜びとして、吾人をまた誘惑する。現実の動かし難い障壁を夢の中で跳び越えていくその軽やかな感覚を心と魂で感じる。心を尽くし、魂を尽くし、主なる神を愛せよ、というテーゼに対して、何も信じるなというアンチテーゼがある。信仰の神秘を捨て去る時に、初めて地表に現れる鬼火は、最後の秘蹟とともに終油の塗布を唇へ。汝、目にて姦淫するものは律法を犯す姦淫と慣れり。斎王の悲しみと太刀を握る天皇の拳(こぶし)は怒りし焦りで湿っている。永遠の命を得るために煩悩の滅に精進するシシフォスの神話は、一つの虚構として原稿用紙の上に屹立(きつりつ)する。苦しみのない所に芸術は成り立たぬ。苦しみというスパイスを抜かしたカレーを釈迦が喰う。何とも味気ない。宝玉の輝きとウシャスの微笑みは、不合理ゆえに我信ず。空なるが故に実なるものは根となる。広大無辺の大悲は局所的愛情を包むこむ。雪降る中に夜空の民が輝く時、日の光の直進が我を射抜く。火炎の燃え盛る大地に霜が立つ、千夜一夜の光陰は教友の抱擁となりき。貧なるが故に恵み多く、足るが故に欠けるところなし。空腹を抱き、植物の育ちたる土壌の生命から畑の肉が生まれ出るは、亜細亜のあわび茸。豪なる強者の雄叫びは、呪力のかかった大剣の重みを支えつつ、広く浅く地を覆う。昆虫の行進は小なり大なり我を震わす。心の健やかなる麗人はオアシス都市の泉である、無限のキャラバンはシルクロードの行進へ。雨降る山に霜下りて、雲海の朝ぼらけ。冬は暖か、夏は涼しく、万民の安楽を成就させたまわんとして強者の無双なる槍構え。武運が立つ柏木の一本。天狗の神通力もデウスには通じぬか。デウスもホトケあるものか。その誉れ高き栄誉は肉汁じゅうじゅうたるローマ皇帝の屍(しかばね)。ファラリスの野望はついえたり。勇猛なる獅子の雄叫びは、土星の環に響く鐘の音なり。バジルやハーブの香が人間の焼ける匂いと合わさる時、その香ばしさは生娘の吐息なり。高慢なるマーリンと十字架上のイエス。見上げるマーリン。見下ろすイエス。ドルイド神官の鍛えた指輪が十三個。パンと魚が三十九個ずつ。サウロンの眠りが覚め、その眼光でにらみをきかすサウロンの怒り。キリストの律法とドルイド神官の魔法陣。

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