「国家とは必要悪である」という考えがあるとすれば、それは無政府主義(アナーキズム)に近い。ルソーは「自然に帰れ」と叫び、原始社会の有り様を礼賛した。スイス人であるルソーは主に、フランスを活躍の場とした。そして、イギリスのジョン・ロックは、民衆の政治参加を、社会契約の観点から促す論調を表した。一方、ホッブズは、「万人の万人に対する闘争」を説き、自然状態では、人間は殺し合う、したがって、巨大な権力機関である国家を必要とするようになると述べた。
著名人の有名な言葉がいくつか並んだが、果たして、わたしたちの考える国家とはいかようなものなのかということになると、いかにもピントがずれてしまうように思う。その原因が、「軍隊は必要悪である」という標語より、「国家とは必要悪である」という標語のほうが、非常に捉えどころのないものであることからも類推できるように思う。
国家とは何かという問いに対して、完璧に答えられた思想家はいないだろう。「わたしは国家を裏切ることが出来ない」という言葉を考えて、まず思い浮かぶのがソクラテスである。ソクラテスは、若者たちを悪い思想に導く人として、アテネの法廷に立たされ、ありのままの陳述をした後、死刑を言い渡された。彼は十分に逃走可能であったのにもかかわらず、アテネというポリス(国家)が自分に死を言い渡せば、自分は死ぬべきだという信念を貫いた。彼はポリスの人であった。では、「祖国」とは何かと考えるとどうだろうか。
「国民国家」という、さらによくわからない言葉がある。同じ言葉を話している人たちが、ある原則(根本思想)に基づいて、政府を持ち、国家を成すことが国民国家の基本である。いち早く、国民国家が興ったのは、イギリスであり、次にフランス、そしてドイツ、イタリアと続いていく。ドイツ、イタリアは、かつては、小国が乱立する連合体でしかなかった。第二次大戦後にアフリカやアジアや中米や南米で、民族自決(民族が自分たちの意向を自分で決めること)の原則を元に、各国が欧米列強から独立していった。アジアやアフリカや中米や南米などの後進地域は、第二次大戦後、そうなった。(少なくとも形上は。強国の属国として存在する国があることも否定できない。)英語を話す国は複数あるし、ドイツ語を話す国も複数ある。言葉だけで、国がまとまるかというと、そうではなく、同一言語で、国が分かれるのは、イギリスとアメリカ合衆国なら、根本にあるのは宗教問題(ピューリタンのメイフラワー号にさかのぼる。宗教的迫害のため、故国イギリスに戻れない人々が自立した政府を作った)、ドイツとオーストリアでは、ヨーロッパ各国のパワーバランスの問題に帰着する(ドイツとオーストリアが統合されると、ヨーロッパの軍事的、民族的なパワーバランスが崩れる。ヒトラーは、ドイツとオーストリアを統一し、大ドイツ主義を唱えた)。
わたしたちが、「祖国」を感じるのは、色彩であり、匂いであり、味であり、音であり、感触である。そのようなゲマインシャフト的な要素を多分に含むのが「祖国」であり、法律、軍隊、選挙、税金といった記号(言葉)、すなわち、ゲゼルシャフト的ものから同じものを見たものが「国家」である。ゲマインシャフトとゲゼルシャフトについて簡単に説明すると、ゲマインシャフトは、物体的(右脳的)であり、ゲゼルシャフトは、言葉(記号)的(左脳的)である。ここで、「祖国は国家に先立つ」という言葉を、出してみる。わたしの創作である。馬鹿ばかしいと思われるかもしれないが、これは、かの有名な実存主義哲学の「実存は本質に先立つ」をもじったものである。しかし、この二つの標語をイコールで結ぶことができる、つまり、「実存は本質に先立つ=祖国は国家に先立つ」とできることは、哲学を志す者には、自明である。実存とは、物体そのものである。本質とは、記号(言葉・意味・価値)である。原始社会では、「祖国愛」はあったが、「国家に対する愛」はなかっただろう。文明化の度合いが低いからである。一方、古代ギリシャには、「国家愛」なるものがすでに存在した。文明とは、文字のごとく、文(言葉=記号)を使う社会である。話し言葉だけだった社会に、文字が出てくることで、文明は飛躍的に進歩した。先述した、国家の要素である、法律、軍隊、選挙、税金は、どれも記録を要するものであり、文字(言葉)なしには存在しえない。
われわれは肉体と精神(意識)を分けて考えることがある。それと同様に、国を、祖国と国家に分けて考えることもできるのではないだろうか。肉体とは、物体で成っており、精神は、言葉で成っている。同じく、祖国は、物体で成っており、国家は、言葉で成っている。そう考えることに、意味があるのかと思われるかもしれない。しかし、これは現実の表裏一体の二面性(表と裏)を認識するときに、正確な表現になるのではなかろうか。なぜなら、わたしたちは、認識を、感覚と言葉で行うからである。国もその例外ではない。
しかし、ユダヤ人はどうなるのだろうか。ユダヤ人は、第二次大戦後に、パレスチナにイスラエルを建国するまで、ざっと三千年ほど、国を持たなかった。国を持たなかった彼らにとっての祖国とは、かつての古代ユダヤ人たちの住んだ、パレスチナであったに違いない。そこに、色彩であり、匂いであり、味であり、音であり、感触があるとすれば、それはユダヤ文化に違いない。しかしその中心にあるのが、聖書、律法という文字であることも忘れてならない。イスラエルとは、国家があって、祖国が出来た珍しい国である。なぜなら、始祖アブラハムが、神(ヤーウェ)と契約を結ぶことから、ユダヤは始まるからである。例えば、ひづめが2つに割れていない四足獣を食べてはならないという教えは、聖書にあるものであり、結果、羊と山羊しか、ユダヤ人は、肉を食べられないのである。また、週に一回の安息日。過ぎ越しの祭り、などなど、聖書や律法に従った生活、それがユダヤ人の文化なのである。民族離散(ディアスポラ)することになっても、ユダヤ人が、民族性、ユダヤ文化を失わなかったのは、言葉によるものが大きい。ユダヤ人にとって、祖国、そして、国家とは何かと問われたら、祖国とはユダヤ文化、国家とは、祭政一致の神権政治体制であることは、誰にも疑いがいようがないことだろう。したがって、ユダヤ人は長期にわたって、国を持たなかったのではなく、正確には、国家を持たなかったと言っていいだろう。ここでもなお、「祖国は国家に先立つ」という原則を外れることはないように思うが、いかがだろうか。