外見が美しいとか、話が面白いとか、お金持ちであるとか、頭がいいとか、そういったことはその人を愛するきっかけでしかない。むしろ、その人を獲得するために自分自身が身を粉にしてつくすことが、その人を長く愛する原因となっていくのだ。愛する相手のために自分がつくせばつくすほど、その人を失った時の悲しみは大きい。それは愛することによって相手がすでに自分自身の一部になってしまっているからだ。身を粉にしてつくしてきた愛する相手を失うということは、自分自身の身体と魂の一部を無理矢理もぎ取られることに等しい。大変な痛みを伴うのだ。だから、人は、外見的には、相手を愛しているようでも、本質的には、その相手を愛している自分自身を愛しているのだ。相手のことを深く愛すれば愛するほど、相手につくせばつくすほど、その相手を愛する気持ちはますます大きくなっていく。もしも、相手が自分にとって愛するに足らない存在であることがわかれば、それはそれまで相手につくしてきた自分の努力が全て無駄であったことを自分自身で認めることになる。だから、あまりに長く深く相手を愛し、相手のためにつくしてしまった人は、もう相手のことを愛さないわけにはいかないのだ。長く深く愛した後に、相手を愛さなくなるということは、それまで相手につくしてきた自分の努力が全て無駄であったことを認めることになるから。だから、生涯にわたって愛する人を手に入れようとするならば、その人を手に入れるために、できるだけ多くの試練や困難を乗り越えなさい。そうすれば、相手を愛しく思う気持ちはますます強くなり、数々の誘惑にも耐えうる強固な愛となっていくであろう。