仏教では、一切衆生氏悉有仏性(いっさいしゅじょうしつゆぶっしょう)ということばがあります。これは万物全てに仏が宿っているという意味です。アインシュタインの理論では、一切は、物質、エネルギー、無、でしかないということを述べています。仏とは、この物質、エネルギー、無、全てではないでしょうか。
かつて道元禅師が、一切衆生氏悉有仏性なのに、なぜ人間は最初から悟った存在(覚者)ではないのかと一生の疑問に思ったことがあると言います。全ての物が仏である。しかし、自分自身の姿を見ることができる人はいるでしょうか。今でこそ、等身大の鏡がありますが、自分自身を見るということは大変困難なことでした。物理的に自分自身を見ることだけでなく、心理的に自分自身を見るということ、これが、覚者という存在なのです。ひたすら、自分自身を磨き続けなければなりません。仏とは全てであるが、仏とは自分自身でもあります。大きな仏様:宇宙と、小さな仏様:自分、これが一致するということを悟ることも一つの悟りなのです。インド哲学で言う梵我一如(ぼんがいちにょ)です。
全て(物質・エネルギー・無)が仏である。そう仮定して、一体なんの意味があるのでしょうか。本来人間は、覚者足れる存在であるということ、自分自身と路傍(みちばた)の石が同じであると悟ること、これには、全てが仏であるという仮定の上にしかありえないことです。この仮定の上に、仏教の壮大な哲学大系が築かれているのです。