わたしはよりよく学ぶことに最も時間を割いてきたが、長期的な習慣に焦点を当ててみたいと思う。年月を良い習慣を作るために費やせば、それは残りの人生に役に立つであろう。習慣を破ってしまっても、新たに習慣を作るより、昔の習慣を再建するほうが容易である。
しかしながら、しばしば、それほど悠長には構えられないこともある。より多く、より早く学ぶことが必要な試験や締め切りがあるだろう。
この記事では、中国語会話を習いながら、「MITチャレンジ」のざっと四倍のペースと格闘していた時、それから現在も、両方でわたしが利用している戦略をお教えしたいと思う。この戦略を強力なものにしているのは、大半の人たちがきつい締め切りと格闘しているやり方と、それから、結局は締め切りを延ばさざるをえなくなったり、燃え尽きてしまったりする理由とは、正反対のものであるということだ。
立ちはだかる締め切りに対しての学生のアプローチとして典型的なものは、このようなものである。すなわち、すべての時間を図書館で過ごしたり、友達付き合いや娯楽をすべて断ち、時間の浪費や気晴らしをとることのないように自分自身を締め上げるというものである。
これは一生懸命に過ごす時間の使い方であるから、一般的なパターンである。気晴らしをしてから始め、一生懸命に働いて、より多くの時間を勉強に使うように、強制をするのである。こうすることによって、しきりに気晴らしをしたくなったり、一人の時まで時間を浪費しているかのように罪悪感を持つことになることが多くなる。この状態は、最大の能率の時と比較して非常に低いレベルで作業が行われたり、燃え尽きたり、ギブアップしてまうまで、一般的に続く。
こういう学生が理解しにくいのは、より少ない時間で、より多く学べるということである。(また、さらに正確に言えば、準仕事のピントのずれボケ具合、実際にはほんの少ししか勉強できていなということが起こっているため、罪悪感を感じて勉強する時間が少なくなっているということである。
このやりかたのキーポイントは単純である。時間の使い方に制約を設け、時間の使い方をより高品質なものとすることである。
これは、わたしがくわしく説明しようとしている、三段階である。
最初の間違いは、ぶっ続けで勉強できると信じていることである。これは危険な誘惑であるとともに、試験や締め切りがより高くそびえ立つほど、より罠にかかりやすくなるということが言える。
わたしは、勉強時間のうちの幾らかの時間かがのんびりしたものになるように言っている訳ではない。一生懸命、勉強したいなら、一生懸命、頑張る必要がある。そういうことではなく、競争で走っていることを考えれば、早すぎれば息切れしてしまうような維持するには難しい過酷な速度があるということだ。二つに分けるのがうまいやり方である。
二つに分けるのに最も簡単な方法は、十分な休息時間をもたらすように具体的な時間を設定することである。わたしは、個人的に一週間のうち五日、午前8時から、午後6時まで、さらに半日を足して(当然、休憩を入れて)いるのが、一度に、数週間続けるよりも最大限に時間を活用できると思われる。わたしは、これを「MITチャレンジ」を通して使ったが、今は、中国語を学習するのに使っている。
このスケジュールの特徴は毎晩が週末丸一日と同じくらい自由であるということだ。(もう半分はそうではない)これはすなわち、友達に会ったり、運動したり、楽しみに何かをやったりすることが、犠牲にされる必要がないということである。
今、現在、一生懸命、勉強していて、燃え尽きた感じがあり、戦略を変えようと試みているなら、変更する仕事量は、それよりも少なくさえある必要がある。わたしは、このスケジュールをバックアップするのに数日か一週間かけて、半分くらいしかできないだろう。走っている時に、息切れがしたなら、持続可能な速度に戻る前に、より遅い速度に戻る必要がある。
わたしは具体的な時間を設定するのが不可欠だと、長年、例を出して説明してきた。しかしながら、精神的な仕事と、肉体的な仕事は、根本的に違うので、連続して類推しても失敗する。競争していて速く走りすぎていると感じ始めたら、速度を遅くしないといけない。また、メンタルな競争をしていて、押され気味だと感じたら、集中を解いて、身体が休まるようにしないといけない。
集中力が阻害されたら、たくさんの努力をしていても、学習スピードは著しく減退する。これは、ずっと少ない時間しか学習していないのに、具体的なスケジュールにはまり込んだ人と同じ努力を払うことになるということである。
この問題と闘う次の段階は、仕事を、受動的なものから能動的なものに切り替えるということである。これは、燃え尽き型のスケジュールから、修正したスケジュールに移行する場合に、強い味方になってくれるので、最初の数日は、最小限の時間しか設定する必要がないくらいである。しかしながら、能動的な仕事の恩恵は、より高い効率の勉強の管理を実現するということである。
能動性というのは、範囲の問題であって、受動的あるいは、能動的とラベルのついた二つの勉強の種類ではない。むしろ、いくつかの仕事は、他の仕事より、一層、高い集中と効率を示すものである。
自己テストは能動的な仕事。読み直しは受動的な仕事。「フェインマン・テクニック」は能動的な仕事。「スキミング」は受動的な仕事。おおざっぱなやり方は、自分が間違っていると分かる可能性がある日課をこなしても意味がなく、それは能動的な仕事とは言えない。わたしは限定されたリストの例外を設けようと思うが、それは小さなものである。そのリストについて言えば、記憶を助ける語呂合わせ技術には、なんの反応もないし、精神的な負担の多き万もので、かなり効率的であるということである。
このステップは明確だ。気が散るものがある環境で働いていたら、気が散ってしまう。わたしは、会話のない中国語の勉強を、インターネット環境のない場所で行った。仕事の一部として、インターネットを使うなら、仕事に関係のないサイトを選択的にブロックする「SelfControl」といったアプリケーションを使うのがいいだろう。インターネットがまったくないのであれば、なおいいだろう。
携帯電話をマナーモードにするか、勉強中に、携帯電話を持ってすらいないようにするのがいいだろう。友人がいないところに行くのもいい。(中国語を勉強する場所を選ぶと、ランダムな中国語の会話を時々、容易にすることができたが、それはこのルールを証明する例外である)
気が散るようにしたくないのでああっても、休憩を取ることを恐れなくていい。理想的なのは、休憩が退屈(しかしリラックスできるもの)で、勉強をやめるように誘惑するものではないものでない環境を作り出すことである。先ほどの基準に則った休憩の仕方を選ぶことは、丸一日、集中力を持続させることに役に立つ。
「MITチャレンジ」の間、わたしは短い散歩や、十五分から二十分、静かにただ座ることをしばしばやっていた。これらは良い休憩であった。というのも、これらの休憩は、意識に休息をもたらし、元の仕事に戻るのに、意思の力を必要としないほど退屈であったからだ。インターネットサーフィン、友人とのチャット、携帯電話のゲームをすることは、良い休憩ではない。
休憩の頻度は、やっている活動の種類によって大いに違ってくる。わたしは「MITチャレンジ」をやっている間は、休憩をたびたび行った。というのは、難しい数学の問題や、大量に本を読む宿題によって、一時間以上、集中を持続させることが困難だったからだ。言語習得については、ほとんど長い休憩をしなかった。文法の問題や語彙を学習することは精神的に負担が大きくなかったからだ。
これらの教訓を深く理解しているにもかかわらず、それでもわたしは、最近、働きすぎてみたいという誘惑に屈してしまった。わたしはほとんど常時、その言語に触れ合うようにする母国語禁止の言語習得の環境を作り上げた。それはスペイン語の時には役に立った。単純にコミュニケーションをすることに比較して、勉強時間自体はむしろ最小限であった。しかし、これを中国語に適用しようとすると失敗した。
わたしの問題は、母国語である英語なしのルールにあるのではなくて、むしろ、精神的に負担の大きい多くの活動で一日を埋めようとしたことだった。わたしは、音楽の代わりに「ChinesePod」を常時、聴き、中国語のテレビやメディアだけを見て、毎週休息を取らないで、毎日、勉強するようにした。わたしは、壁にぶつかろうとしたことに気付くまで、数日以内に中国語のプレゼンテーションが立ちはだかり、無理がたたって、燃え尽きようとしていた。わたしは犯した間違いのために、数日間、良質な勉強時間を失ったし、おそらく、勉強の効率は低いものであっただろう。
誤りを犯してから、また、その罠にはまったことに気付いてから、上述したルールにのっとった勉強のスケジュールを新たに設計しなおし、数日以内にゆっくりと適用していった。そして今、わたしは、疲れ果てることなく、少なくとも以前と同じくらいの勉強量を取り戻して、再び軌道に乗ることができた。
時として、われわれはそれと気付かずに燃え尽き型のスケジュールにおちいってしまう。こうなってしまうのは、ゴールに対して十分に進展が見られない時(あるいは、先延ばしになっている場合)に、もっと働くべきだと感じた時である。こういう場合、集中できない理由が、怠けているわけではなくて、時間に制約を設けていない兆候にあることに気付くのは、非常に難しい。
以上は、
原文:「The Three-Step Strategy to Study Hard Without Burning Out」
http://www.scotthyoung.com/blog/2014/04/01/study-hard-no-burnout/
からの翻訳です。