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思索とアートとヘアカット
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自分とは何か?

「自分とは何か?」という哲学的な命題に対して、わたしなりに一応の結論が出ている。脳を中枢とする神経系の活動が自分である。かつて哲学者デカルトは「考えるゆえに我あり」(コギト・エルゴ・スム)という哲学の第一原理を打ち出したが、この思考に似かよっている。ある人が自分の着ている服を触ったとすると、「触られた」という感覚を感じる。これは服が肉体と近い距離にあるため、皮膚感覚が刺激を受けたからである。わたしなりに考えれば、この「服」も自分の一部ということになる。それは髪の毛のや爪(つめ)が自分の一部ということになる。それは髪の毛や爪が自分であるということの応用である。髪や爪を切っても痛くないのは神経系が通っていないからである。しかし、毛根や皮膚についているので、切られているという感覚はある。試(こころ)みに一度切った髪の毛をセロハンテープで残った髪とくっつけると再び触ると触られている感覚が生じる。爪や毛は服と同じようなものだと言える。人間の五感「触覚」「視覚」「嗅覚」「聴覚」というものを感じるのが自分である。これが自分と他者を分ける基本である。「自分とは何か」という問いに対するもう一つの答えは、「自分とは世界(宇宙)である」という答えである。先ほど述べた五感全部を消すと、全てが消えて自分の思考だけが残る。インドのウパニシャッド哲学で梵我一如(ぼんがいちにょ)の境地がある。自分(アートマン:我)と、世界(ブラフマン:宇宙)が、一つであると感じることである。自分をミクロコスモス:小宇宙、世界(宇宙)をマクロコスモス:大宇宙と考える。このミクロコスモスとマクロコスモスの一致が梵我一如である。また、仏教でいう涅槃寂静(ねはんじゃくじょう:ニルバーナ)である。自分が消えると世界(宇宙)が消えてしまうからである。ゆえに「自分は世界(宇宙)」なのである。

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